熊野民子さん(70歳)広島市安芸区 取材/原口真吾(本誌) 撮影/堀 隆弘

熊野民子さん(70歳)広島市安芸区
取材/原口真吾(本誌) 撮影/堀 隆弘

義母から教わったこと

 集落を見下ろす坂道の途中にある熊野民子さん宅の母屋は築100年を超えており、先祖代々大切に使われてきた。かつて義父母と舅の母親が暮らしていたが、誰も住まなくなって久しく、熊野さんはすぐ隣の離れに夫の和雪(かずゆき)さんと夫婦二人で生活している。けれども、子どもが孫を連れて訪れた際は寝泊まり用の部屋として、また、地域や生長の家の集まりがある時は会合の場として今も使われている。

「冬はすきま風が冷たくて、冷蔵庫のようなんですよ」と熊野さんは笑うが、年月を経た木の質感に、居心地の良さを感じる人も少なくないという。

 普段の掃除は簡単に済ませているが、年に数回行う、ベンガラ(黄土を焼いて作る赤色の顔料)で塗装した壁板のツヤ出しには、ある物を使っている。

「義母は毎日畑仕事で忙しくしていて、私に家事のやり方を教えているような余裕はありませんでした。でも、これだけは教えてもらったんです」

 そう言って熊野さんが取り出したのは、ガラスの瓶に入った食用油だった。天ぷらなどに使った古い油を、雑巾に染みこませて壁板を拭き、最後にから拭きで仕上げると、ワックスがけをしたようにツヤが出るそうだ。

「義母は、米一粒も大切にする人でした。私が結婚して間もない20代の頃、夏場に炊飯ジャーで炊いたご飯を保温しておくと黄色くなって臭いが出てしまい、いつも流しに捨てていたんです。そうしたら義母が、洗ってから煮て食べると言って、持っていきました。そのことがあってから、残ったご飯はすぐ冷蔵庫に入れたりして、気をつけるようになりました」

 生長の家の、日々の生活の中の喜びや明るい出来事だけを心に刻む「日時計主義」のように、何にも「ありがとうございます」と感謝する人だったと、熊野さんは懐かしそうに語った。

自然に即した生活

6畳、4畳、8畳と部屋が続く母屋の縁側で。昔はこの家で冠婚葬祭も行われた

6畳、4畳、8畳と部屋が続く母屋の縁側で。昔はこの家で冠婚葬祭も行われた

 熊野さんは子どもの頃、春には近所の畑で麦踏みや一家総出で田植えをしたり、秋には山で焚き付け用の松葉集めをしたりするなど、季節の移り変わりに歩調を合わせて育ってきた。旬に関係なく同じ野菜が一年中手に入るようになった今でも、その感覚は変わらない。

「だって、旬に食べた方が美味しいんですもの。冬にわざわざ美味しくないキュウリを食べなくても、同じサラダの彩りなら、ブロッコリーでもいいと思わない?」

 母親から生長の家の教えを伝えられた熊野さんは、自然の営みを無視し、人間の都合を優先して自然を破壊したことに、今日の環境問題の原因があると学んだ。「神・自然・人間は本来一体である」と説かれているように、人間は自然の一部であり、自然と調和した生活を送りたいという思いを新たにしたという。

「虫が少なくなる秋に大根の種を蒔いたのに、大発生した虫に葉っぱを食べられて、育たないことがありました。そうした環境の変化を目の当たりにすると、小さなことしかできなくても、『どうにかしなきゃ』って思うんです」

自宅の前の畑。農作業を体験できる「くま農園」として貸し出しもしている

自宅の前の畑。農作業を体験できる「くま農園」として貸し出しもしている

 自宅の前に広がる約600坪の畑では、四季折々の野菜を育てており、その日収穫した旬の野菜がそのまま食卓に並ぶ。食料を輸送する際に排出される二酸化炭素を発生しない、究極の地産地消・旬産旬消である。

 遊びに来る孫たちは「ばあちゃんの野菜はおいしい!」と、トマトやピーマンを生でかじるという。野菜には、米ぬかを発酵させたボカシ肥料と、生ゴミコンポストで作った堆肥を与え、無農薬・無化学肥料で育てているから、子どもがそのまま口にしても安心なのだ。以前は化学肥料を使用していたが、有機肥料に切り換えてから野菜が大ぶりに育ち、病気にも強くなったという。

ベンガラで塗られた壁板を、古い食用油で磨く

ベンガラで塗られた壁板を、古い食用油で磨く

「畑の土もふかふかになって、やっぱり地力が大切なんですね。畑では生命学園(*)の行事を行ったり、一部を近所の子どもたちが農作業を体験できる農園として、貸し出したりしています。その時に自然の中で育った虫食いの野菜を子どもたちに見せて、実際に味わってもらい、自然環境と食の大切さを伝えています」

 ある春の日に開かれた生命学園で、お昼ごはんに焼きそばを作った際、畑で収穫したキャベツを具材に加えた。それをキャベツ嫌いの男児が「甘くておいしい!」とぱくぱく食べ、以来キャベツが食べられるようになったという。熊野さんにとって、生命学園を開く中で、最も嬉しかった体験の一つだ。

 畑の野菜は夫婦二人には十分すぎるほど採れるので、自宅を訪れた友人や信徒の仲間たちにもおすそ分けをしている。その時に「神様からのおすそ分けよ」という言葉が何気なく出てくるのは、自然の背後には神の愛があると感じているからだろう。

手間をかけることは、愛を表現すること

愛用のヘチマたわし

愛用のヘチマたわし

 食器洗いのスポンジが、毎日使うたびに少しずつすり減り、その細かい破片が排水と共に海に流れ出て、マイクロプラスチック問題の一因となり、海の生き物に害を与えていると知った熊野さんは、100%植物性のヘチマたわしを作ってみることにした。

 昨年(2019)5月に、庭の柿の木の脇にヘチマの苗を一本植え、ボカシ肥料を加えた。「ツルが柿の木に巻きつけば、ネットを立てなくてもいいかな、なんて思って(笑)」。植えた後は太陽と雨と風まかせ。それでもヘチマはすくすくと育ち、大小10個ほど実をつけた。

「最初に収穫したものは早過ぎたんです。繊維質がまだ十分にできてなくて、たわしに使えませんでした。こういうのは実際にやってみないと分からないことで、面白いですね。しばらくしてから大きく育った実を収穫して、再挑戦しました」

 ヘチマを数日間水に浸け、柔らかくなった皮を外したら、種を取って乾燥させるだけ。今使っているヘチマたわしはもう4カ月も経つが、使うほどに柔らかくなり、なじんでくるという。

「昔の人の智恵ですよね。安価な台所スポンジよりもずっと長持ちしていますし、何より自分で作った物だから、大切に使いたいんです」

 そんなところから、熊野さんが畑仕事や手作りを楽しみ、自然に寄りそう暮らしをしていることが伝わってくる。

イスとテーブルを置いた土間は、家族や地元の人との語らいの場

イスとテーブルを置いた土間は、家族や地元の人との語らいの場

 熊野さんの母親は毎日畑に出て忙しく、ほとんど家にいなかった。それでも子どもたちのために、シーツや布団のカバーを洗濯する時はいつもパリッと糊付けし、布団カバーは掛け布団と丁寧に縫い合わせ、きれいに整えてくれていた。

「夜、お布団に入ると『お母さん、ありがとう』という感謝の思いが湧いてきて、母の愛情にすっぽり包まれているような気がしました。暮らしに手間をかけることは家族に愛を表現することになりますし、そうやって環境に配慮することは、地球に対しても愛を表現することになるんですね」

 熊野さんは今も、季節の流れに歩調を合わせて暮らしている。

* 幼児や小学児童を対象にした、生長の家の学びの場