私の両親は不仲で、父は家の外に女性を作り、私は、病弱でヒステリックな母に怒られ、叩かれる子ども時代を過ごしました。中学生になると学校でいじめに遭い、家にも学校にも居場所がない寂しさを感じて、人生は苦しいものだと思うようになっていました。

 短大を卒業すると神社に勤め、男性とお付き合いもして、初めて生きる喜びを感じました。昭和57年、25歳の時に見合いをして、勤務医として精神科に勤める男性と結婚しました。優しく聡明な人と結婚したいと願っていたので、理想どおりの人でした。しかしその後、再び人生の荒波に揉まれる日々となりました。

イラスト/せのおりか

イラスト/せのおりか

 主人はとても神経質な性格で何事にも厳しく、外では優しい人なのに、家の中では思い通りにならないことがあると、私に怒鳴り散らしました。何事に対しても批判的で、のんびりした性格の私とは正反対の人でした。医師の仕事も忙しく、遠くに嫁に行った私は、家で一人取り残されたような寂しさを感じていました。

 主人の両親も厳しい人で、その上、実家の両親には「一人っ子なのに親を捨てた」と泣かれ、私は子宮の病気にもなり、八方塞がりの状態でした。そんな時、以前に勤めていた神社で、生長の家の本を借りて読んだことを思い出し、生長の家なら私を救ってくれるかもしれないと、教化部(*1)に電話をしました。紹介された誌友会(*2)に参加するようになり、この世は「心の思いが展開する世界である」ことや、「人間は神の子で、病は本来ない」ことなどを学び、救われた思いがしました。

 その後、両方の親が病に倒れ、私は主人の実家と、私の実家へ面倒を見に行く生活が続きました。実家には、主人を一人残して幼い二人の子どもを連れて行き、4年ほど両親を介護しました。父が亡くなり、母を連れて自分の家に帰ると、主人はマンションを借りて、一人で家を出ていってしまいました。

 介護と子育てに必死だった私は、聖経(*3)を誦げて先祖を供養し、神想観(*4)も懸命に行いました。そして『奇蹟の手帳』(谷口雅春監修、日本教文社刊、現在品切れ中)に願いを書くことが心の支えでした。その後、主人は勤め先が変わって13年あまり単身赴任となりました。主人にがんが見つかったのは単身赴任中の平成27年のことでした。末期だったため手の施しようがなく、短い闘病生活の末、63歳で亡くなりました。

 主人の葬儀が終わり、落ち着きを取り戻した頃のこと。やっと主人の支配から解放されたという思いがよぎりました。これからは自由になれると、安堵の気持ちが込み上げてきたのです。そして一日でいいから、優しい人と過ごしたかったという思いも……。

 しかし、すぐにその思いを否定する私がいました。主人がいてくれたからこそ生活することができ、子どもたちも大学に進学することができた。主人に感謝できなければ、これからの人生は幸せになれないと思えたのです。

 私の心の眼が開くと、それまでの私の人生には愛にあふれた光輝く日々があったのだと、神様の愛に初めて気づくことができました。そして、主人は厳しい態度を見せながら、私の魂を磨いてくれていたのだと思えるようになったのです。

 これからも喜びに満ちた神様の愛の世界を見つめながら、多くの方々にこの尊い教えをお伝えし、幸せになっていただきたいと願っています。

H.K.(生長の家地方講師)
生長の家白鳩会教区連合会長。夫は平成27年に昇天。長女は昨年結婚し、長男と2匹の猫と暮らす。趣味は読書。天文学や細胞の話にも興味を持つ。

*1 生長の家の布教・伝道の拠点
*2 教えを学ぶつどい
*3 生長の家のお経の総称
*4 生長の家独得の座禅的瞑想法