K.M. 神奈川県出身、山梨県在住。平成23年11月に28歳で入籍。現在夫と長男、長女と4人家族。SNIクラフト倶楽部に所属。持ちすぎない生活、直して使う生活を心がけている。生長の家山梨教区青年会委員長。

K.M.
神奈川県出身、山梨県在住。平成23年11月に28歳で入籍。現在夫と長男、長女と4人家族。SNIクラフト倶楽部に所属。持ちすぎない生活、直して使う生活を心がけている。生長の家山梨教区青年会委員長。

 私は4人家族の次女として生まれました。父はどちらかと言うと宗教嫌いで、家には仏壇も神棚もなく、もちろん生長の家の存在も知らずに育ちました。両親は仲が良いとは言えず、子どもの前で喧嘩をし、母からは父の不満を聞かされました。私は仲の良くない両親を心配し、子どもなりに気を遣って、両親に喜んでほしいと思い、家の手伝いや勉強をがんばりました。

 両親や家庭環境のことで悩んでいたということもあり、結婚するなら、お互いに考えの違いはあっても話し合いながら解決できるような人がいい、子どもが両親の板挟みになるようなことはしたくない、安心して過ごせる温かい家庭がいいなど、成人する前からそんな願望がありました。

 しかし、大学生の頃、付き合っていた男性と別れたことをきっかけに摂食障害となってしまったんです。いわゆる食べ物依存で、当時は、なぜ身体を壊したり惨めな気持ちになったりするまで食べてしまうのか分かりませんでした。何かに一所懸命に取り組めば食べ物のことを考えずにすむのではないかと思い、大学のチアリーディング部に打ち込んでみたり、1時間以上かけて自転車で通学したりしましたが、良くなることはありませんでした。それでも大学は卒業し、就職もしました。

イラスト/石橋富士子

イラスト/石橋富士子

 摂食障害はその後もついてまわりました。食べ物に時間も心も支配され、自分が意地汚く惨めな存在に思えることが何よりも辛く感じられました。環境を変えるために1人暮らしをはじめ、心を落ち着かせようと茶道を習ってみたり、ストレス発散をするのがいいのではとジムに通ったり、教会や心療内科に通うなど、様々なことをしました。

 しかし、摂食障害はエスカレートして日常生活に支障をきたし、仕事も辞めざるを得なくなりました。子どもの頃から、大抵のことは努力すればどうにかなると思っていましたが、ついにどうにもならなくなったのです。

 それから縁があって、摂食障害回復のための専門機関に通いはじめました。そこで分かったことは、子どもの頃から両親に気を遣い、いわゆるよい子でいなければという状態で育ったために、「がんばらないと自分は認められない。安心できない」と条件付きでしか自分を認められなくなっているということでした。さらに、自己肯定感が低く、他人からの評価でしか自分を認められないためにストレスが多く、他人の評価、異性、食べ物などに依存している自分の心の状態を知ることができました。

 思い返せば、大学時代に付き合っていた男性は他の女性とも付き合うなど、私のことを大切にしてくれる人ではなかったのに、自己肯定感の低さから、「それでも私のことが好きと言ってくれるから」という理由で交際していたことにも気づいたのです。(つづく)