S.M.さん 神奈川県在住。平成29年11月に23歳で入籍。新聞社に勤めながら、通信制大学に通い、仕事と家事と勉学の両立に励む毎日を送る。令和2年3月より神奈川教区青年会副委員長を拝命している。現在、夫と2人暮らし。

S.M.さん
神奈川県在住。平成29年11月に23歳で入籍。新聞社に勤めながら、通信制大学に通い、仕事と家事と勉学の両立に励む毎日を送る。令和2年3月より神奈川教区青年会副委員長を拝命している。現在、夫と2人暮らし。

 私は生まれてすぐに原因不明の病にかかりました。医師からは「肺炎を起こしていて、1歳になるまで生きられるかわからない。ご両親は覚悟をしてください」と告げられたそうです。

 生長の家の教えを信仰する母は、藁にもすがる思いで、当時、東京の原宿で開催されていた生命学園(*1)に私を連れて通いました。そのおかげもあって、徐々に快復し、1歳の誕生日を迎えることができました。幼稚園にも入園でき、父と母は元気に走り回る私を見て、安堵したと言います。このように、小さな頃から当たり前のように、生活の中に信仰がある家庭で育ちました。

 小学生になると神奈川の小学生練成会(*2)に参加しました。練成会では、生長の家の「人間は神の子である」という教えを学んだり、大きな声でお祈りのコトバを唱えたり、色んなお友だちが出来て、いつも楽しみにしていました。

 そして、小学校2年生のときから、ある人に憧れを抱くようになりました。当時中学2年生だったMさんという方で、小学生練成会の男子班の部長を務め、私たちに優しく接し、仲間と楽しそうに運営していました。そんな様子を見て、「かっこいい、私もあの人みたいな部長になりたい」と思いました。

イラスト/石橋富士子

イラスト/石橋富士子

 しかし、小学校高学年になってからは、練成会に参加しなくなりました。その頃、私は学校でいじめにあい、心身共に追い込まれ、登校できなくなっていたのです。居場所を見出せない私にとっての救いは、自宅と母と一緒に参加した地元の白鳩会(*3)の誌友会(*4)でした。誌友会に参加する方々の「無理して学校に行かなくていいんだよ」「きっと良くなるから大丈夫だよ」という温かい言葉に救われました。

 ある時、自宅のポストに中高生練成会の案内チラシが入っていて、中学生の姉が「一緒に参加しよう」と声をかけてくれ、参加することにしました。練成会では、優しいお兄さんやお姉さんたちが温かく迎えてくれ、その中にMさんもいました。初めは緊張していましたが、次第に雰囲気になれていき、いじめのことを打ち明けました。

 すると、Mさんや他の参加者の皆さんから「ツラかったね、話してくれてありがとう。でも、もう大丈夫だよ、絶対良くなるからね」と言ってもらい、涙があふれました。講師からは「決して相手を恨んではダメだよ。少しずつでいいから相手の良いところを見つけていこう。必ずよくなると信じるといいですよ」と指導して頂きました。

 練成会最終日の決意発表では、「学校に行きます!」と宣言し、家に帰ってからは毎日クラスメートのことを祈りました。すると私の心も明るくなって、登校できるようになり、いじめもなくなっていきました。(つづく)

*1 幼児や小学児童を対象にした生長の家の学びの場
*2 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*3 生長の家の女性の組織
*4 教えを学ぶつどい