私の生まれ育った徳島県南部の海陽(かいよう)町は、海と山に面したのどかで自然豊かな所です。私は4人きょうだいの長女に生まれ、3歳の時に、実父母や3人の弟達とは別れて、近所に住む伯父に養女として引き取られました。子どもの頃は、愛情深い養父母のもとで何不自由なく、明るく活発な子どもとして過ごし、平凡ながらも幸せでした。

イラスト/せのおりか

イラスト/せのおりか

 養母は生長の家の教えを人生の指針として真剣に学んで実践し、衣料品の行商一筋に頑張ってきた勤勉な人でした。戦争の惨禍や、昭和21年の昭和南海地震による津波に被災して家財の全てを無くし、途方に暮れたであろう当時の状況や、再建までの両親の苦労を思うと、思わず涙がこみ上げます。

 私は中学生の頃に、母より生長の家の信仰を伝えられ、信仰熱心な友達とともに、生長の家徳島県教化部(*1)や宇治別格本山(*2)などで行われた中・高生練成会(*3)などに参加していました。どの会場も多くの学生であふれていました。

 初めて参加した時、谷口雅春先生(*4)の書かれた聖経『甘露の法雨』や、真理の言葉がぎっしり詰まった聖典の素晴らしい文章に感動し、生長の家が大好きになりました。「人間は神の子」ということや、「感謝する心」の大切さを学び、とても衝撃を受けました。

 その後、22歳で両親の勧めるままに結婚しましたが、互いの理想が違っていたため、幸福な結婚生活とは言えないものでした。その頃、信徒の方から誘われて誌友会(*5)に参加するようになり、ある時、地方講師(*6)の林正子先生が「夫を尊重し感謝すると、夫婦はうまくいく」というお話をされました。

 それが当時の私にピッタリの内容で、また「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉にも出合い、自らを振り返って実践するうち、徐々に家庭の雰囲気が変わっていきました。相手の欠点を見るのではなく、まず自分が変わることがいかに大切かを実感しました。やがて主人も本来の明朗な姿をとり戻し、娘2人の成長を心から喜び、家族の健康や幸福を一番に祈ってくれるようになり、笑顔に溢れた明るい家庭になりました。

 ところが、そんな幸福のまっただ中で、主人は思わぬ事故に遭い、48歳の若さで突然に帰らぬ人となりました。ショックのあまり目の前がまっ暗になり、何も手に付かずただ茫然と暮らしていました。

 ある時、母が大切にしていた『生命の實相』(谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻)を見つけ、夢中で読む内に、「肉体は無くなっても魂は生き通し」という言葉が目に留まり、その言葉によって勇気づけられ、やっと心の平安を得ることができました。そして、主人が一番気にかけていた子ども達のためにも元気でいなければという強い想いが起こりました。思えば逆境に直面した時は、いつも生長の家の教えに導かれ、生かされてきた私です。

 以前は、持ち越し苦労や取り越し苦労ばかりして前進できませんでしたが、10年前より教化部へ頻繁に出向き、教化部長(*7)や地方講師の方のご指導を受けるうちに、いつの間にか、日時計主義(*8)の生き方が身に付いたように思います。母の深い愛が私を素晴らしい信仰へと導いて下さったことに感謝の気持ちでいっぱいです。これからも報恩感謝を忘れずに、一人でも多くの人に、この素晴らしい教えをお伝えしていきたいと思います。

T.S.(生長の家地方講師)
前生長の家白鳩会徳島教区連合会長。娘たちは結婚し、一人暮らし。趣味はコーラスグループで童謡を歌うこと。家庭菜園で、季節の野菜を無農薬で育てている。

*1 生長の家の布教・伝道の拠点
*2 長崎県西海市にある生長の家の施設。龍宮住吉本宮や練成道場などがある
*3 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*4 生長の家創始者、昭和60年昇天
*5 教えを学ぶつどい
*6 教えを居住地で伝えるボランティアの講師
*7 各教区の責任者
*8 日時計が太陽の輝く時刻のみを記録するように、物事の明るい面にのみ心を向けて生活すること