新宮郁美(しんぐう・いくみ) 東京都出身、京都府在住。令和元年12月、39歳で入籍。現在、夫と2人暮らし。ノーミート料理で野菜の皮まで利用し、ゴミを出さずに料理をするのを楽しんでいる。花の写真を撮るのも趣味。生長の家地方講師。

新宮郁美(しんぐう・いくみ)
東京都出身、京都府在住。令和元年12月、39歳で入籍。現在、夫と2人暮らし。ノーミート料理で野菜の皮まで利用し、ゴミを出さずに料理をするのを楽しんでいる。花の写真を撮るのも趣味。生長の家地方講師。

 私は生まれた時から生長の家に出合っていました。というのは、私が生まれる時に母が聖経(*1)読誦をしてくれていたからで、「聖経を聴きながら、あなたは生まれたのよ」と母はよく話してくれました。高校卒業後は生長の家養心女子学園(*2)で「人間は神の子」の教えを学び、卒業後も生長の家の本を読み続けました。

 ところが、仕事では職場の人間関係で悩んだり、本採用になる前に解雇になったりして転職を繰り返し、自信を失いかけました。そんな頃、生長の家本部練成道場(*3)の練成会(*4)に通い、喜びや明るい出来事に心を向ける日時計主義の生き方や、「誰もが完全円満な神のいのちを宿した素晴らしい神の子である」ということを学んだことで、周囲の人や物事のプラス面を見ることができるようになり、「神の子」の自覚も深まって、自信が持てるようになりました。

 

 そんな27、8歳の頃から結婚願望を持ちはじめ、結婚するまでの約10年間、良縁成就を祈り続けました。実は主人も、その頃から祈り始めたそうです。私が理想とする男性は生長の家の教えを信仰している人で、祈りを大切にし、生長の家で人のお役に立とうとしている講師の方がいいなと思っていました。

 自分に自信が持てるようになると、長く勤めたいと思える仕事に就くことができました。その会社は東京ガスの関連会社で、私はガスの検針と営業を担当しました。それまでの仕事では上司に怒られることが度々ありましたが、この仕事はほぼノーミスで、成績も常に上位をキープしました。社内で表彰されたり、営業成績の良い社員が呼ばれる高級ホテルでのパーティーに出席したりして、毎日が生き生きとしていました。身近に尊敬する人も現れて、密かに思いを寄せていました。

イラスト/石橋富士子

イラスト/石橋富士子

 しかし、仕事中に足首を捻挫してしまい、アキレス腱周囲炎も発症して仕事はドクターストップになり、退職することになりました。ちょうどその頃、本部練成道場の方から声を掛けていただき、職員として採用されました。今振り返ると、これは主人と出会うための導きだったと思います。

 生長の家青年会(*5)の伝道活動に打ち込み、休日は生長の家の本を読んだりしました。神想観(*6)も毎日数回実修し、練成会の先祖供養にも毎回参加しました。

 そんな充実した日々を送る中、数年間、尊敬し、思いを寄せていた方が結婚したと聞き、ショックで何をするのも嫌になってしまいました。しかし、その人に尊敬してもらえる自分になろうと心を磨く努力ができたので、今はとても感謝しています。 (つづく)

*1 生長の家のお経の総称
*2 生長の家の全寮制の専門学校。現在は休校
*3 東京都調布市飛田給にある生長の家の施設
*4 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*5 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
*6 生長の家独得の座禅的瞑想法