両親が共に中学校の教員をしているS.Y.さんは、今年(2021)4月から、自身も小学校の教員として新たな門出を迎えた。そんなYさんと、母親・Mさんによる、先祖についての母娘対談。

S.Y.さん 宮崎県・22歳・小学校教諭 S.M.さん 宮崎県・56歳・中学校教諭 取材●長谷部匡彦(本誌)

S.Y.さん 宮崎県・22歳・小学校教諭
S.M.さん 宮崎県・56歳・中学校教諭
取材●長谷部匡彦(本誌)

Y 以前、お母さんは、ひいおばあちゃん(曾祖母)がご先祖のことをまとめた本を読んで、ご先祖ゆかりの土地を巡りに行っていたよね。なにか分かったことがあったの?

M あなたの5代前にあたる、高祖父の父は鹿児島県の生まれで、明治10年(1877年)の西南戦争の時に西郷軍に参加しているのよ。政府軍の熊本鎮台兵と戦火を交え、熊本の近代化が進んでいることに驚いて、西南戦争後、郷里の人々に「これからの人間は学問を身につけなければいけない」と、全財産を投げうって鹿児島に小学校を創設したすごい人だったの。

高祖父(写真提供:S.M.さん)

高祖父(写真提供:S.M.さん)

 高祖父は、宮崎県の小学校で、明治34年(1901年)の9月から、2年後の3月にかけて、第2代校長を務めていたの。長年にわたって教育に携わり、教育功労者として勲八等瑞宝章を授与されているのよ。

Y 自分のためじゃなくて、人々や社会の発展のために、教育の普及に尽力したのはすごいと思う。

 私が教員の道へ進もうと思ったのは、お父さんとお母さんが中学校の先生をしている姿を見て、やりがいがあると感じていたからだけど、ご先祖の導きがあるのかもね。ところで、ひいおじいちゃん(曾祖父)と、ひいおばあちゃんはどんな人だったの? 

『生命の實相』が曾祖母を救った

M 高祖父の娘が嫁いだのが、あなたの曾祖父なのよ。曾祖父の家は代々医者の家系でね。曾祖父は外科医をしていて、太平洋戦争が始まると、軍医として3回も召集されて、出征しているの。最後はフィリピンのルソン島で、43歳の若さで戦病死しているのよ。

曾祖父と曾祖母の婚礼写真 (写真提供:S.M.さん)

曾祖父と曾祖母の婚礼写真
(写真提供:S.M.さん)

 曾祖母は、戦後の昭和43年(1968年)にルソン島を慰問団の一員として訪れて、そのときに、太平洋戦争で生き残った人々から聞いた話をまとめた『ルソン島にみたまをたずねて』という本を自費出版したのよ。

 戦争末期のルソン島周辺は、アメリカ軍に制海権も制空権も握られて、食料などの補給もままならない状態で曾祖父も弱っていたけど、軍医の役目を果たすため、ジャングルに取り残された負傷兵を助けにいって、自分もマラリア熱にかかって亡くなったの。きっと「もう自分は帰ってこられない」と分かっていたはずなのに……。

Y 曾祖父は、自分のことだけを考えずに、軍医として負傷兵たちのことを考えて助けにいくなんて、とても誠実で心優しい人だったんだね。残された曾祖母はどうなったの?

出征時の曾祖父

出征時の曾祖父

M 曾祖母は、夫を亡くしただけじゃなくて、夫が出征中に、あなたの大伯母にあたる長女を5歳の時に亡くしているの。「夫に死んでお詫びするしかない」と思いつめていたけど、当時は戦争で息子を亡くした母親たちから、「医者である曾祖父の子どもさんも亡くなられたのだから、諦めもつく」という言葉を聞かされてね。「亡くなった長女は、悲しんでおられるお母さんたちを慰める使命を持っていたんだ」と、悲しい気持ちをなんとか飲み込もうとしたらしいの。

Y 曾祖母は、娘も亡くしていたのね。想像できないくらいの苦しみを感じていたんじゃないかな……。

M 終戦後に夫がルソン島で亡くなったことも知らされ、人生に悲観した曾祖母は、赤ん坊だった次女(祖母)を抱っこしたまま、何度か列車に飛び込んで自殺しようとしたらしいの。でもその度に次女が泣くから、なんとか思い止まれたのよ。

 そんなとき、苦しむ曾祖母の姿を見かねた女学校時代の友人が、曾祖母に『生命の實相(*)』を手渡したんだって。「人間は神の子で、永遠不滅の霊的存在である」という生長の家の教えに触れたことがきっかけで、曾祖母の苦悩がやわらいで、二度と自殺を試みることはなくなったのね。

 その後、曾祖母は児童相談所に勤めたあと、養護教員にもなって、子どもたちの教育のために尽くしたのよ。

いのちの繋がり

Y もし、曾祖母が列車への飛び込み自殺をしていたら、お母さんは生まれてこられなかったし、私も生まれてこられなかったんだよね。

M この話を聞いていた母は産まれてきた私に、亡くなった曾祖母の長女と同じ名前の「M」と名付けたのよ。私の名前は大伯母の分まで長生きして欲しいという思いが込められているの。

 生長の家で、「大地は神様、根は先祖/幹は両親、枝葉は子孫/枝葉に花咲き、よき果を結ぶは/親に孝養、先祖に供養」と教えられている通り、目には見えないかもしれないけど、ご先祖を大切にしていると、やっぱり守られていると思えることがあるの。

自宅からほど近い大草家のお墓にて。「常に見守ってくださるご先祖に、感謝の言葉を唱えています」とMさん

自宅からほど近いお墓にて。「常に見守ってくださるご先祖に、感謝の言葉を唱えています」とMさん

 もしかしたら、曾祖母が自殺を踏み止まれたのも、ご先祖が徳を積んでくれていたおかげかもしれないわ。実は、あなたが生まれた日に、曾祖母は交通事故で意識不明になって、そのまま3日後に亡くなったの。だから、あなたと曾祖母の間には、不思議な縁があると思うのよ。

Y そうだったんだね。曾祖母や、ご先祖が頑張ってくれたからこそ、今の私がいるんだね。お母さん、いつもご先祖を大切にまつってくれてありがとう。感謝の気持ちを込めて先祖供養を行うことの大切さが、心から分かったよ。

 将来、私が結婚するとか、子どもを産むとかはまだ想像できないけど、子孫のために、そして良い人生を送っていけるように、しっかりと先祖供養をしていくね。そして、戦後も懸命に生きた曾祖母に恥じない生き方をして、たくさん徳を積んでいけるように頑張ります。

* 生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻。現在、品切れ中