世界各地で新型コロナウイルスが猛威を振るう最中の2020年5月、生長の家国際本部に勤める松尾さん夫妻は、協力して近隣住民に声を掛け、認定NPO法人山梨フードバンクに食料の寄付をした。またマスクが手に入らなくなった頃から、手作りマスクを困っている友人や知人などに届けている。他者への思いやりを実践している夫妻に、出会いのきっかけと、どのように恋愛を育んだのか聞いた。

松尾憲作さん 37歳・団体職員
純子さん 33歳・団体職員
取材・撮影●長谷部匡彦(本誌)
──お二人の出会いのきっかけは?
憲作 最初に出会ったのは、平成25年6月に行われた生長の家総本山(*1)の団体参拝練成会(*2)のときでした。当時、私は生長の家長崎教化部(*3)の職員で、信徒さんを引率するために参加していたんです。
純子 私は東京から受講者として参加しました。じつは憲作さんに会う前に、憲作さんの弟の博隆さんには、東日本大震災のボランティア活動で、お会いしたことがあったんです。それで、総本山で憲作さんをお見かけした時に、博隆さんのお兄さんだと気づいて、「弟さんにはお世話になりました」と声を掛けたんですよ。
憲作 その時、純子さんとは年齢が近かったこともあり、フェイスブックの話で盛り上がったことを覚えています。
──お互いの印象はどうだったんですか?
純子 弟さんによく似ているなというのが第一印象でしたけど、その後はとくに話す機会はなかったんです。ただ、練成会中に信徒さんのお世話をする姿を何度か見かけて、優しくて、しっかりしている方だと思いましたね。
憲作 私は笑顔が本当に素敵で、思いやりのある素晴らしい方だと思いました。そのときから惹かれるものを感じて、できれば純子さんとフェイスブックで友達になりたいと思い、練成会終了後に、「練成会ではお世話になりました」と、フェイスブックからメッセージを送ったんです。それがきっかけでメールのやり取りをするようになりました。
純子 総本山での練成会中、早朝行事で『日々の祈り 神・自然・人間の大調和を祈る』(生長の家総裁・谷口雅宣著、生長の家刊)を拝読したんですが、たまたま3日間とも「魂の半身」(最も適当な伴侶)について書かれている箇所だったんですね。もしかしたら、すでに近くに「魂の半身」さんがいるのかもしれないって思っていたので、メールをもらった時はうれしかったです。
ご先祖様の導き
──お二人が恋愛を意識するようになったのは?
純子 その練成会で、浄心行(*4)中に先導者の後に続いて他の受講者と共に「お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます」と唱えていると、自分が生かされているのは両親がいて、ご先祖がいてくれたからだという思いになって、まず100日間はしっかり先祖供養に取り組もうと決心したんです。その後、自宅に戻り、毎日聖経(*5)や讃歌(*6)を読誦して先祖供養を行い、何気なく100日目の最終日を確認すると10月1日でした。後から知りましたが、憲作さんの誕生日でしたので不思議な縁を感じました。
憲作 私は地元の長崎南部教区の地方講師(*7)の方から、「自分の理想とする『魂の半身』のイメージを紙に書き出して、お仏壇と神棚に置いてお祈りすると良い」とアドバイスを頂いて、実践していました。そんな時に、純子さんの何気ない日常にある明るい出来事への思いを綴ったフェイスブックの投稿をみて、なんて純粋な方なんだろうと思ったんです。私の理想の相手は、生長の家の信仰を大切にし、この教えを多くの人々に伝える仕事に一緒に取り組んでいける方でしたので、純子さんが自分の理想の相手なのかもしれないと感じましたね。
純子 私も生長の家の先輩から、同じように「『魂の半身』さんの理想を紙に書き出すと良い」と教えてもらっていたので、自分の理想を紙に30個書き出し、封筒に入れて先祖を祀っている場所に保管していました。その理想の相手の条件の一つとして、周囲に優しく明るく元気に接する人というのがあったんですが、私が仕事で忙しいときに、憲作さんから優しい励ましの言葉が届いて、穏やかな気持ちになったんですね。理想の人に当てはまっている気がして、惹かれ始めました。
憲作 二人とも魂の半身の理想を紙に書き出していたから、お互いの存在に気づけたのかもしれませんね。
再会と告白
──それから、どのようにして交際が始まったんですか?
純子 団体参拝練成会の2カ月後に、私の母が長崎の五島列島出身で、祖母の初盆のため長崎に行くことになったんです。心のどこかで、憲作さんに会いたいという気持ちがあったので、長崎に行く予定があることを伝えました。
憲作 純子さんからそのことを聞いて、私は「長崎市内を案内しますよ」と伝えました。でも私から誘ったのに、「どう思われているだろうか?」と考えたりして、内心はドキドキで緊張しましたね(笑)。
純子 長崎空港まで迎えに来てくれた憲作さんは、荷物を持ってくれるなど、色々と気遣ってくれました。憲作さんがとても緊張しているのがわかりましたが(笑)、私のために一所懸命になっているのを感じて、うれしかったです。それから長崎のお盆の風習や、ご両親やご先祖様の話をしてくれたりして、この人ならきっと家族を大切にしてくれるだろうな、という信頼感が生まれました。
憲作 緊張しながらも長崎市内を案内し、夕食後、稲佐山の頂上から長崎市内の夜景が見える場所に移動したときに、思い切って「お付き合いしてもらえませんか?」と私から言ったんです。
純子 そのときは、素直にうれしくて「こちらこそ、よろしくお願いします」と言いました。
憲作 その後、お互いに生長の家の教えを信仰していたので、朝起きると電話越しに『日々の祈り 神・自然・人間の大調和を祈る』を一緒に拝読するようになりました。そうしたことを続けているうちに、信仰を大切にしている純子さんが、自分にとって本当に理想の相手だと確信するようになったんです。

憲作さんが純子さんに送った絵葉書
画像提供:松尾純子さん
純子 朝、一緒にお祈りをしていたおかげか、いつも側にいてくれるような不思議な感覚があって、離れていたけれども不安はありませんでしたね。優しいだけでなく、感謝の言葉を綴った絵葉書をサプライズで送ってくれたり、仕事のことなどで困っていたときには、偉ぶるわけでもなく謙虚に助言をしてくれたりして、尊敬するようになりました。
長崎で会ってから一カ月後の9月に、憲作さんが当時私が住んでいた東京に会いに来てくれることになったんですが、台風の影響で飛行機が欠航になってしまったんです。私は憲作さんに喜んでもらいたくて、手作りのお弁当を作っていたので悲しくなり、その時は、「憲作さんに会いたい」って思いました。
憲作 すぐに飛行機を翌日の便に変更して、朝一番で東京に向かうことを、純子さんに伝えました。翌日、純子さんと羽田空港で落ち合ったあと、明治神宮を参拝したんです。神宮内を散策したあと、ベンチに座って目を閉じてもらいました。それからネックレスを純子さんの手元において、目を開けてもらい、「結婚してください」と伝えました。
純子 突然のことで本当にびっくりしましたが、なによりも、すぐに翌日の飛行機を手配して会いに来てくれた憲作さんの愛情を感じました。なんの迷いもなく、「はい。こちらこそよろしくお願いします」と返事をしました。
何を大切にするのか
──交際1カ月でプロポーズをしようと思った決め手はなんですか?
憲作 自分には、信仰を大切にしている純子さんしかいないと感じていました。それは、純子さんが無条件に私自身のことを愛してくださっていると思ったからです。やはり、二人の心と心が、純粋に一つにつながることが大切なのだと思います。
純子 交際期間中、メールや電話をするなかで、憲作さんは私を束縛したり、自分をよく見せようとしたりすることもなく、私が困った時などは、真心をこめた助言もしてくれて、しっかりと引っ張ってくれました。憲作さんとなら、お互いに高め合える関係になれると思いました。
──恋愛で大切なことはなんでしょうか?

南アルプスを一望できる自宅近くで。娘と
憲作 交際中は、お互いに地に足をつけて仕事に取り組むことを第一にしていました。その後、平成26年の4月に生長の家国際本部に就職することになり、翌年5月に純子さんと結婚をしました。自分の願いだけを優先するのではなく、仕事などやるべき事をしっかり行ったことで、自然と環境が整ったのだと思います。
純子 私は憲作さんとの出会いを通して、相手を大切に思うことだけでなく、他の人や自然に対しても、もっと愛を表現したいという思いが拡がっていきました。周囲の人々への分かち合いの心や、自然と共に生き、自然に与え返す心をもつことで、より幸せになれるのだと実感しています。
憲作 現在は、生き方が多様化しているので、恋愛への考え方も様々で、悩みを持っておられる方もいるかもしれません、そのような時代だからこそ「信仰」という軸を自身の中に持つことが大事ですね。そうすることで、自分自身が本当に望んでいる理想へ向かって、周囲の環境に縛られることなく、様々な自己実現のチャレンジができるのではないかと思っています。
*1 長崎県西海市にある生長の家の施設。龍宮住吉本宮や練成道場などがある
*2 合宿して教えを学び、実践するつどい
*3 生長の家の布教・伝道の拠点
*4 過去に抱いた悪感情や悪想念を紙に書き、生長の家のお経『甘露の法雨』の読誦の中でその紙を焼却し、心を浄める行
*5 生長の家のお経の総称
*6 『観世音菩薩讃歌』と『大自然讃歌』のこと
*7 教えを居住地で伝えるボランティアの講師