F.H.さん 東京都・34歳・舞台俳優 取材●長谷部匡彦(本誌)

F.H.さん
東京都・34歳・舞台俳優
取材●長谷部匡彦(本誌)

「人は謙虚さを忘れて慢心したり、自己限定をしてしまうことで、成長が止まってしまいます。周囲の人や、自分の置かれた環境から学ぶ姿勢を持ち続けることで、新しい視点が生まれ、そこから自然に湧いてくる『表現したい』という思いが、創造力を発揮するということに繋がると思います」

 真っ直ぐな眼差しで、F.H.さんはそう話す。 

いくらでも幸せになってよかったんだ

 芸能事務所に所属し、舞台を中心に活動しているFさんは以前、生長の家総本山(*1)で神舞姫(みこ)として働いた経験がある。

「神舞姫になったのは24歳のときでした。もともと歌やダンスを習っていて、芸能の原点である舞や雅楽に興味があったんです」

 総本山では神舞姫を務めた後、練成会(*2)の司会などを2年間担当した。

 その練成会の中で、「人はみな神の子として、だれもが使命をもっている。いくらでも幸せになっていい」といった講話を繰り返し聴くうち、「神の子」としての自覚が深まっていったと振り返る。

「『人間は神の子であり、無限の力がある』という生長の家の教えを知っていたのに、心のどこかで、何かを我慢して生きていかなければいけない、と思い込んでいました。どこか自分を制限していたところがあったと、気づいたんです。その経験を通して、『好きなことをして、幸せになっていいんだ』と思えるようになれました」

hidokei135_rupo_2 やがて、子どもの頃から好きだったダンスにまた取り組みたい、と強く思うようになり、お盆などで東京の実家へ帰省した際、芸能界でも有名な振付師のもとでダンスを習い始めた。

「振付師の先生からダンスの経験を問われたときに、20代前半までダンスを習っていたことや、小さな舞台に立ったことで満足して、芸能への道を諦めたことを伝えました。すると『諦めるなんてもったいない!』と先生から言われ、本当は芸能の道に進みたかったんだという自分の本心に気がついたんです」

 芸能の道に進むことを決めたFさんは、総本山を退職したいと上司に伝えた。しかし、ちょうどその頃、後輩の神舞姫が体調を崩して人員が足りなくなったため、自ら退職をとりやめた。

「このまま辞めたら、あとで必ず後悔すると思ったんです。本当の希望から遠回りしたように見えても、神舞姫に戻ることが、今の自分の使命だと思ったので苦痛ではありませんでした。それから2年後、後輩たちが滞りなく御祭(みまつ)りを執り行えるようになったので、安心して退職をすることができました」

 自分が置かれた環境に不満をもって過ごすのと、主体的な意識をもって過ごすのとでは、自分自身の成長の度合いが大きく変わってくる、とFさんはいう。

「現在与えられている環境は、すべて自分が選んだものなのだと自覚することで、責任の意識が芽生えてきますし、もっと向上したいという前向きな思いも自然に湧いてくるんですね。そのことを学ぶ大切な機会になりました」

幸せになって、周囲にも幸せを振りまきたい

 平成30年に総本山を退職後、東京に戻ったFさんは、演劇を学べる芸能事務所に入り、今年(2021)2月には、都内にある小劇場の舞台にも出演した。

hidokei135_rupo_3「舞台では共演者の演技力の凄さを感じ、自分に足りない部分が見えてきました。全力で演じるなかで、自分が自分でなくなり、神様とつながったような充実感で心が満たされるのを感じました。演技力を磨くための努力をしっかりと続けていきたいと思います」

 創造力を高めるために必要なことについて、Fさんはこう話してくれた。

「神様が創られた完全円満な実相の世界では、人は初めから許されている存在で、自分で自分を縛る必要なんてない。大切なのは、今こうして生きていることに感謝し、『もっと幸せになっていい』と自分を認めることです。その中で、自分が本当にやりたいこともきっと見えてくるし、それを素直にやることで、人は幸せを感じ、その中から創造力も高まってくるのだと思います」

*1 長崎県西海市にある生長の家の施設。龍宮住吉本宮や練成道場などがある
*2 合宿して教えを学び、実践するつどい