今月号(No.130)の特集「私のノーミートライフ」では、アメリカ、中華民国(台湾)、ドイツ、日本で、生長の家の教えに基づいて、肉を使わないノーミート料理を食している信徒の皆さんに、日頃の暮らしぶり、食生活の様子、なぜ、肉食をやめたのかなどについて聞いた。
どんな所に住み、どんな生活を送っているのか
──「私たちのノーミートライフ」というテーマでお話ししていただくわけですが、始めに、皆さんはそれぞれどんな所に住んでおられるのか、また職業、家族構成、生長の家における役職などについて教えていただけたらと思います。
U 私は、カリフォルニア州に住んでいます。
家族はアメリカ人の夫、大学2年生(19歳)、高校2年生(16歳)の娘の4人で、私は大学の講師として働いています。
蕭 私が住んでいるのは、台湾南部にあり、大規模な港湾都市として知られる高雄市で、冬の平均気温が23度という温暖な地です。夫は3年前に亡くなりましたが、今は、一男三女の子どもと孫6人、ひ孫2人に恵まれ、正月などに皆が帰省すると、それはそれは賑やかで、いつも幸せをかみしめています。
現在、地方講師(*1)として生長の家の教えを伝える活動をしているほか、環境教育のボランティアガイドを務め、環境保全の重要性を多くの人に伝えてもいます。
──尾崎さん、山中さんはいかがですか。
尾崎 私が住むミュンヘンは、ベルリン、ハンブルクに次ぐドイツ第3の都市で、人口は140万人、バイエルン州の州都です。比較的平坦な地形が多いドイツの中では、南端をドイツアルプスに接し、海抜520メートルという高い平野にあります。
父の転勤に伴い、家族でミュンヘンに住むようになったのですが、1986年に家族が帰国してからも私は残り、今は特許事務所の弁理士アシスタントとして働いています。その傍ら、「社団法人ドイツ生長の家誌友会(*2)」の理事長を務め、大塚裕司・欧州駐在本部講師の指導の下、ヨーロッパに教えを伝える活動にも携わっています。
山中 私は、夫が生長の家国際本部に勤務しているため、山梨県北杜市にある生長の家の職員寮で、夫と娘(17歳)とともに暮らしています。
八ヶ岳の南麓にある生長の家国際本部は、標高1,300メートルという高地にありますが、寮も740メートルの所にあって、夏も比較的涼しく、とても過ごしやすい場所です。自然も豊かで、朝にはいろんな鳥の鳴き声が聞こえ、夜には星がとてもきれいに見えて、家族でいつも癒されています。
生長の家地方講師である私は、6年前から「生長の家長坂子ども食堂」の調理リーダーを務め、経済的困窮や孤食などの問題を抱えている子どもや、その親御さんなどを対象に、食事を提供する活動を行っています。
ノーミート事情①日本、ドイツ篇
──それでは本題に入ります。皆さんが日頃、どんなノーミート料理を食べているのか、紹介してください。山中さんからお願いします。
山中 わが家の代表的なノーミート料理を紹介すると、おからお好み焼き、サバカレー、豆腐ハンバーグなどで、肉の代用品である大豆製品のソイミートもよく使っています。ソイミートは、醤油と砂糖などを使った自家製のタレに漬けておき、いろんな料理に活用しています。
子ども食堂においても、ノーミート料理を出していますが、子どもたちからクレームがあったことは一度もありません。子どもたちが大好きなカレー、ハンバーガーの具材には、栄養豊富なサバ缶を使っており、大好評です。
他の食材についても、生長の家で勧めているように地産地消・旬産旬消、安心・安全な物を使うように心がけています。また、子ども食堂を手伝ってくださる生長の家国際本部職員の奥さん方にも、家庭で作るノーミート料理の参考になるようにと思って献立を考えています。
尾崎 離婚したドイツ人の元夫が、肉も魚も食べないベジタリアンだったため、一緒にいた頃は、豆腐のステーキや野菜炒め、欧米風に炊いたぱらぱらのご飯などをよく食べていました。また、元夫は味噌汁が好きだったので、これもよく作りました。
独りになった今は、週末にまとめて、豆腐入りの野菜の炒め煮や野菜スープを作り、白米、玄米、大豆を同量混ぜたご飯を食べています。
ノーミート事情②台湾、アメリカ篇
──蕭さん、Uさんは、どんな食生活を送っているんでしょうか。
蕭 台湾では、もともと「素食(スゥースー)」という菜食文化が根付いているため、ノーミート料理もごく一般的で、私も10代の頃から菜食を続けています。生長の家の教えに触れて、肉を食べないことが、殺生(せっしょう)をしないという宗教的な意味からも、環境保全という意味からも大きな意義のあることだと知り、意を強くしました。
今はマンションのベランダで野菜を育てて食している他、昨年(2020)の4月に立ち上げた誌友会(*3)においては、生長の家創始者・谷口雅春師の『新版 心と食物と人相と』(日本教文社刊)をテキストに、肉食を避けることの重要性を説明するとともに、参加者の皆さんと一緒に野菜を使った料理を作り、皆で食べたりしています。

Uさん一家の食事、野菜中心料理が並ぶ
U 私はフルタイムで仕事をしながら子育てもしてきたので、さっとできる料理を作るようにしており、洗って切った野菜に塩、胡椒、オリーブオイルをかけ、オーブンにかける野菜のグリルをよく作ります。
この前は、大豆タンパクのミンチミートと野菜を、米粉の皮で包んだ餃子を娘たちと一緒に作り、楽しく食べました。
ノーミート料理を食すことで気づいた体調の変化
──皆さんが、楽しくノーミートの食生活を送っている様子が目に浮かんできました。ノーミート料理を食すことで、体調に変化などがありましたら聞かせてください。
U ノーミートの食生活が基本となってもう15年以上になりますが、ご飯が大好きなもので、ご飯を食べ過ぎて太ったりすることもあります。そんなときは、ご飯を控え、豆腐や豆などを中心にした食事にすると調子がよくなります。
何より、牛や豚などの生き物を殺生しないノーミート料理は、精神的にとてもよい影響を与えてくれているように感じます。

上:蕭さんお手製の五目モヤシ/下:娘さんとお孫さんと。右が蕭さん
蕭 私は長年、菜食を続けてきたおかげか、妊娠したときも産褥期も何の問題もありませんでしたし、今も胃腸が軽く、毎日すっきりとした気分で過ごすことができています。何より感じるのは、怒ることが少ない、朗らかな性格になったということで、これは生長の家の教えを学んでいるおかげでもあると思っています。
──尾崎さん、山中さんは、どうですか。
尾崎 正直言いますと、ソーセージが恋しくなったり、野菜料理にベーコンを入れれば風味が違うのにと思ったりしたことはありました。しかし、そうした時期が過ぎると、肉屋に並んでいる肉を見ても、違和感の方が強くなりました。
おかげさまで元気に過ごしていて、今は、以前にも増して野菜や果物が食べたくなり、食べないと調子が出ないという感じです。
山中 私がノーミート料理を食べるようになって気づいたのは、家族の誰もが風邪をひかなくなったということです。些細なことかもしれませんが、とてもありがたいことだと感謝しています。
なぜ、肉食をやめたのか その動機と経緯①
──ノーミートの食生活を送るようになったのは、どんなきっかけからだったんでしょうか。
U 25年前、アメリカに来た頃は、郊外の田園地帯に行くと、のどかに草を食んでいる牛の姿が見えて、ほほえましく思っていました。しかし、だんだんそれらの牛は殺されるために育てられているということが分かって、何と残酷なと思うようになったんです。
また、あるとき、食肉工場に運ばれていく何百頭という牛が、草も生えていない狭い場所に閉じ込められている姿を見て、その姿が目に焼き付いて離れなくなりました。
ですから生長の家の教えに触れ、肉食の弊害について教えられたときは、自分が考えていたことが正しいと分かり、自然にノーミートを実践するようになったんです。
なぜ、肉食をやめたのか その動機と経緯②
──蕭さんには、先ほどなぜノーミートの食生活になったかを話していただいたので、続いて尾崎さん、山中さん、お願いします。

上:生長の家の集まりに参加したときの尾崎さん(中央)/下:尾崎さんがよく食べるというサラダと野菜炒めを挟んだパン
尾崎 2014年、生長の家からノーミートを奨励するビデオ「食卓から平和を」(*4)が出て、私はそのドイツ語吹き替え版の翻訳のお手伝いをしました。また、2016年には、『いのちの環』(2016年9月号)に掲載された「肉食を止めた理由」という記事をドイツの生長の家の定期刊行物『リヒトクウェレ』に転載する際、ドイツ語に翻訳したことが大きなきっかけになりました。
2つの仕事を通して、「肉を食べれば動物が犠牲になるんだ」と知り、自分の食べる料理はノーミートにする、外食の際も肉料理は注文しないと決めたのです。
山中 私の場合は、18年前、夫から「ノーミート料理にして欲しい」と言われたのがきっかけですが、それを後押ししてくれたのは、生長の家で、肉食の弊害についてこのように教えられたからです。
①同じ人類の食料を奪う、②動物の命を奪うすなわち殺生、③放牧用地のために森林が破壊される、④動物のし尿などによる環境汚染、⑤世界を豊かな人と貧しい人に分断し、人々に憎悪、不平等の思いをつのらせる、⑥メタン排出による地球温暖化。
教えに触れたきっかけと教えを実践して変わったこと①
──次に、生長の家の教えにはどんなきっかけで触れたのかについてお聞きしたいと思います。
U 生長の家の教えに触れたのは、25年ほど前、アメリカに来た頃のことです。友だちに、いい瞑想を教えてくれる集まりがあると誘われて、南カリフォルニアの生長の家の信徒宅に行ったのが最初でした。生長の家独得の座禅的瞑想法である神想観、感謝誦行(しょうぎょう)(*5)、生長の家のメンバーの明るく、オープンな雰囲気に感動し、それから教えを学ぶようになりました。
私は、父を52歳、母を59歳で亡くし、「なぜ、あんないい人が早死にしなければならないのか」と不条理に思っていたのですが、「死とはこの世の人生学校を終えたということ」「肉体は滅んでもいのちは生き通し」と教えられ、救われたのでした。
教えに触れたきっかけと教えを実践して変わったこと②
──蕭さん、尾崎さん、山中さんはいかがですか。
蕭 私は、2000年に父から教えを伝えられました。熱心な信徒である父を喜ばせるには、生長の家の教えを学ぶのが一番だと思い、『日時計日記』(*6)を付けて、自己讃嘆するようになったんです。
自分を褒めることで、人にも「和顔・愛語・讃嘆(*7)」ができるようになり、親子関係、夫婦関係がよりよいものになりました。また、マイナス思考を脱し、プラス思考で生きることができるようになったんです。
尾崎 ドイツに来るまでは、生長の家の存在すら知りませんでした。そんな1995年、職場の上司である日本人女性から、ドイツのザンクト・マーティンで開かれた「生長の家ヨーロッパ練成会(*8)」への参加を勧められ、ふと行ってみようという気になったんです。
よく分からないけど何かがありそうな気がして、軽い気持ちで参加したんですが、キリスト教のことしか知らなかった私は、招神歌(かみよびうた)(*9)を唱えたり、先祖供養をしたりすることがとても新鮮でした。遠く離れた故郷日本との繋がりも感じられて嬉しくなり、それを機に教えを学ぶようになったんです。
山中 私の場合、両親や次兄が熱心に信仰していたため、その影響で小学4年生のときには、両親に連れられて、近所の信徒宅で開かれていた早朝神想観(*10)に行ったこともあります。自分から、『生命の實相』(生長の家創始者・谷口雅春著、全40巻。日本教文社刊)などの生長の家の書籍を読んで教えを学ぶようになったのは、友人関係で悩んでいた24歳のときで、「愛は正しさに勝る」という言葉に衝撃を受けました。
自分が正しいとばかり思い、友人への愛が足りなかったことに気づき、愛をもって接し、和解の祈りをすることで悩みが解消したのです。
それ以来、生長の家の教えを指針にして今日まで生きてきました。
世界の皆さんと力を合わせ、手を取り合って
──最後に、今後の抱負を山中さんからお願いいたします。

上:ノーミート料理に舌鼓を打つ山中さん一家/下:ソイミートを使って調理する山中さん
山中 わが家でノーミートの食生活を続けていくのはもちろん、コロナ騒動が落ち着いて、子ども食堂が再開したら、子どもたちにおいしいノーミート料理を提供してもっともっと喜んでもらえたらと思っています。そして、子ども食堂の活動を通し、ノーミート料理の素晴らしさを広く発信していきたいと考えています。
尾崎 ドイツでは、10人に1人がベジタリアンで、ヴィーガン(完全菜食主義者)は女性と若者に多いと言われ、ベジ商品の売り上げが急増しています。この風潮にさらに拍車がかかるように、生長の家の教えの立場からも肉食の弊害について訴えていきたいと思っています。
蕭 私は、「私は素晴らしい神の子であり、全身が光とプラスのエネルギーで満ちあふれています。神様から無限の愛の導きを受け、思いや行動のすべてが神様の御心のままにあります。ありがとうございます」という言葉を机の前に貼って、毎日唱えています。私の抱負は、生長の家の教えとノーミートの素晴らしさを多くの人に伝えることです。
U 私が苦境に陥ったとき、生長の家の教えに救われ、いろんな人に助けていただきました。これからは、私が人を助ける番だと思っています。教えを伝えるのはもちろんですが、肉食が少しでも減るように、肉食の弊害について多くの人に知ってもらう活動も続けていきたいと思っています。
──世界の皆さんと手を取り合い、力を合わせて、ノーミートの食生活を広げ、世界平和の実現に向けて歩んでいきたいと思います。本日はありがとうございました。
*1=生長の家の教えを居住地で伝えるボランティアの講師
*2=ヨーロッパにおける生長の家の拠点
*3=生長の家の教えを学ぶ小集会
*4=肉食の弊害について説いたビデオ。生長の家監修 https://www.jp.seicho-no-ie.org/can/study/movie/
*5=「ありがとうございます」と感謝の言葉を連続して唱える行
*6=嬉しいこと、感動したことなどを書く日記。生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修。生長の家刊
*7=なごやかな顔で、優しい言葉で、誉める
*8=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践する集い
*9=生長の家独得の座禅的瞑想法である神想観実修の時に唱える神をよぶ歌
*10=生長の家独得の座禅的瞑想法