
田中淳夫(たなか・あつお)さん(森林ジャーナリスト)
聞き手/遠藤勝彦(本誌) 写真/永谷正樹
「人間の生理の奥には、自然界の刺激やリズムの記憶が染みついているから、森の中に入ると何とも言えない心地よさを感じるんだと思います」と、“森の癒し”について語る田中さん
田中淳夫さんのプロフィール
1959年大阪生まれ。静岡大学農学部林学科を卒業後、出版社、新聞社勤務を経て、フリーの森林ジャーナリストになり、森と人をテーマに執筆活動を続けている。奈良県生駒市在住。主な著書に『森を歩く──森林セラピーへのいざない』(角川SSC新書)、『森林異変』『森と日本人の1500年』(ともに平凡社新書)、『樹木葬という選択』『鹿と日本人──野生との共生1000年の知恵』(ともに築地書館)、『森は怪しいワンダーランド』(新泉社)、『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』(電子本・ごきげんビジネス出版)、『絶望の林業』(新泉社)、2020年10月に新著『獣害列島』(イースト新書)が出版された。
人はなぜ森に癒されるのか、森林浴や森林療法の歴史やその効用、新型コロナ騒動で揺れる今こそ森から得られるものなどについて、『森を歩く──森林セラピーへのいざない』の著者で、“森の癒し”についても詳しい、森林ジャーナリストの田中淳夫さんに聞いた。
──田中さんは、“森林ジャーナリスト”という珍しい肩書きをお持ちですが、日頃はどんな活動をされているんでしょうか。
田中 “森林ジャーナリスト”と名乗っているのは、日本で私ただ一人だと思いますが、基本的にはフリーライターです。その中でも、主に森林に関わることを専門分野としているということです。
森林は自然の象徴ですから、森林を通して人間社会を眺めたら、新しい視点が得られるのではないか、また、両者が交わるところに社会のあるべき姿が見えてくるのではないかという思いで、森林のみならず、林業、山村などをメインフィールドに、農業、水産業などの一次産業、そして、自然界と科学(主に生物系)の研究の現場などを取材して、執筆活動を行っています。
自らの体験で無意識に感じた森を歩くことの効用
──“森の癒し”ということに興味を持たれて、『森を歩く──森林セラピーへのいざない』というご著書を出版されるようになったきっかけはどんなところにあるんでしょうか。
田中 私は森林に関することなら何にでも首を突っ込んでいるので(笑)、その一環として出版社から依頼されて本を書いたんですが、それとは別に、もともと森での体験があるんです。
ずいぶん前、私が会社を辞めて、フリーランスの看板を掲げるようになった頃、森歩きに凝り始めました。奈良県生駒市にある私の自宅は、山裾にあって比較的簡単に森に入れる場所で、ため池の周りに雑木林や人工林、草地などがモザイク状に広がっていたりします。
最初は雑木林の遊歩道を歩いていたんですが、だんだんそれだけでは飽き足らなくなって、道から外れて歩くようになりました。小さな沢を遡ると巨石がごろごろある渓谷に出たり、草原にぶつかったり、ため池に出合ったりと、いろんな発見があったんですね。
今になって振り返ると、こうして歩き回ったことが、自分の中にあるいろんな課題を解決する鍵になっていたように思います。フリーランスになったものの、方向性が定まらず、もやもやした気分を抱えていたのが、森を歩くと、なぜかすっきりする。どう文章を書こうかと悩んでいたときも、森を歩いているうちに答えが見つかったということが何度もありました。
──その頃から、“森の癒し”を感じられていたということなんですね。
田中 森を歩くと、煮詰まった頭の中が整理されるだけでなく、思索も深まり、体調もよくなったこともあって、無意識に森歩きの効用を感じていたんだと思います。
その後、雑誌に載せる記事を執筆するために、森林療法の提唱者として知られる上原巌・東京農業大学教授を取材する機会に恵まれたことが、“森の癒し”について興味をかき立てられる一つのきっかけになりました。
森林浴とは何かフィトンチッドとは何か
──“森の癒し”について考えるとき、最初に出てくるのが、「森林浴」という誰もが耳慣れた言葉だと思います。この言葉は、どういう経過をたどって流布するようになったんでしょうか。
田中 この言葉が最初に登場したのは、1982年のことです。当時の秋山智英・林野庁長官が、都会の汚れた空気や喧噪から逃れ、森林のある環境に浸って心身ともに保養することを提唱し、海水浴や日光浴に引っかけて、森林浴という言葉を使い出したんです。森林には、フィトンチッドと呼ばれる成分が漂っているため、森林浴をすることで、その香りによる清涼効果や生理機能の促進などの効果が得られるというのも謳い文句でした。
その後、森林浴という言葉がキャッチフレーズとして新聞などで盛んに取り上げられるようになったため急速に広まり、1982年の10月には、赤沢自然休養林(長野県木曽郡上松町)で第1回目の「赤沢森林浴大会」(現在も継続中)が開催されました。これを機に、全国の森林地帯で同じような森林浴の催しが開かれるようになって、森林浴という言葉が広く知られるようになったんです。
──今、フィトンチッドの話が出ましたが、これについて詳しく教えていただけますか。
田中 これは、1930年頃、ロシア(旧ソ連)のボリス・トーキン博士が発見した揮発性の物質のことです。ロシア語でフィトンは植物、チッドは他の生物を殺す能力を有するという意味で、全体としては、「植物から出る殺菌作用がある揮発成分」のことを指します。
このフィトンチッドには、樹木自身を守る働きがあって、昆虫や動物が葉や枝を食べるとフィトンチッドが発生し、苦みなどを与えて摂食障害を引き起こしたり、食べられる前に昆虫や微生物を忌避させるだけでなく、殺虫、殺菌の効果があるとされています。
また、最近の研究では、フィトンチッドの一つである青葉アルデヒドには、害虫の天敵を呼び寄せたり、病原菌への抵抗を高める免疫力があることが実証されただけでなく、隣の木に警報を与える役割も持っていて、木々のコミュニケーションを担っていることも分かっています。
ところが人間には、このフィトンチッドが心地よい感覚につながるんですね。爽やかで気持ちをリラックスさせる効果があるようです。どうやらフィトンチッドこそは、樹木が何百年、何千年と生き続ける生命力の源だと言えますし、人間にとっては、リフレッシュ、消臭、脱臭、抗菌、防虫など、暮らしに有益な効用をもたらすものとして認知されるようになっています。
──森林浴をすると気持ちがいいのは、このフィトンチッドからきているということですか。
田中 そうなんですが、気持ちよさを科学的に示す指標はあるのかとか、フィトンチッドがどのように作用して気持ちよいのか、フィトンチッド以外の理由は考えられないのかといったことについては、これまで体系的な学問にはなっていないんです。それなりの仮説は出されたものの、「森林を散策すると何となく気持ちがよい」という範疇を抜け出せなかったんですね。
ドイツの森林保養地に学び、森林療法を広めた上原巌さん
──それを体系化できないかと考えて森林療法を提唱されたのが、先ほどお話に出てきた上原巌さんですか。
田中 そうです。上原さんは、東京農業大学を卒業して長野県の農業高校の教員になり、養護学校でも教鞭を執っていたんです。その中で四肢にマヒがあったり、知的障害がある子どもたちと森の中に入って作業をすると、彼らの心がとても落ち着き、元気になることに気がつかれた。それを機に、森の持つ癒しの力に興味を持ち始め、30歳のときに高校の教師を退職して、信州大学の大学院に入って森林療法の研究を始められたそうです。
まず取り組まれたのが、学術論文から民間療法までの古今東西の文献探すことで、さらに1995年に、自然療法のメッカとして知られるドイツのバート・ヴェーリスホーフェンを訪れるなどして研究しました。そして、1999年に開かれた日本林学会(当時。現日本森林学会)で森林療法を提唱し、2010年に、森林療法を実践する日本森林保健学会を設立したんです。
顕著な事例が見られる森林療法の効果
──森林療法によって、どんな効果が現れたんでしょうか。
田中 驚くほど顕著な事例が見られたそうですよ。
例えば、重度の精神障害と自閉症である人に、森林散策と森林での作業に参加してもらうと、1カ月経った頃には、指導員の呼びかけに応えるようになり、作業も少しずつできるようになって、パニックや自傷、他傷行為も起こさなくなったという事例があります。
あるいは、40歳を超えた重度の精神遅滞を有する障害者の人が、野外活動に参加するようになってから、他傷行為や物品を破壊したりすることが徐々に減少したばかりでなく、人とコミュニケーションがとれるようになって、歩行障害者や身体障害者への介添えも行うようになったという事例などについても、上原さんは報告しています。
また上原さんは、森林カウンセリングといって、大学生を相手にした、森林内を歩きながら悩みを聞くカウンセリングによって人間関係を円滑にする活動を行うなど、さまざまな分野で森林を利用した療法を試みて、成果を挙げています。
──「森の幼稚園」も、そうした試みの一つと聞いていますが。
田中 もともと幼稚園というのは、1837年にドイツの森林測量技師が、年少の幼児たちを森の中へ連れていったことから始まったと言われています。それが発展し、いつしか園舎を設け、室内で幼児を過ごさせる場となりました。
それを原点に戻して、森の中で保育をする幼稚園として生まれたのが森の幼稚園です。1954年にデンマークのコペンハーゲン郊外で、エラ・フラタウという女性が、自分の子どもたちや近所の幼児を対象に森の中で保育活動を始めました。
ここでは、常に森の中で遊び、全てを子どもたちの自主性に任せます。なるべく大人は口も手も出さず、何をして遊ぶかを子どもたちに決めさせるのです。仮にケンカをして転ぶなどしても、できるかぎり自分たちで対処させます。
また、体操などをし、森林ピクニック(散策)をしたりもします。雨の日も雨具に身を包んで森に出かけます。園舎も遊具などもありません。幼児は、森の中にある物を利用して遊ぶことを覚え、自立能力が高まり、コミュニケーション能力も早く身につくと言われています。
このように森林療法は、療養、カウンセリング、保育、教育すべてを合わせたものであるだけでなく、未病(病気ではないが、放っておくと病気に発展しかねない段階)対策にも向いており、より予防医学的な効果が高いと言われています。
また今では、木肌の感触が人間にどんな影響を与えるのか、木目、節などの模様を見たとき、人にはどんな感情が誘発されるのかなどの研究も行われるようになっていて、こうしたことが、やがて森林療法と一つになって、“森の癒し”がより進化するときが来ると期待しています。
──他にも、効果が確認されていることはありますか。
田中 当時の森林セラピー研究会(現在のNPO法人・森林セラピーソサエティ)は、血圧やストレスホルモンのコルチゾール濃度、免疫系の細胞の活性などを調べる実験を行って、森林散策を行うと、全てにおいて変化が現れることを確認したとしています。
このように、現象としての森林散策が心身に与える効果は認められつつあります。しかし、森林内にある何がどのように作用して、心身によい影響を与えるのかについて、理論的な説明がなされるまでには至っていないというのが、現状だと思います。
もっとも大切な森に癒されたという実感
──人がなぜ森に癒されるのかについて、田中さん自身は、どう考えておられますか。

「樹木とハグすることによってストレスが解消するのは、既に実証されていることです」
田中 人間の生理の奥底には、自然界の刺激やリズムの記憶が染みついていると思うんですね。だから、都会の人工的な造形、人工的な音、自然界には存在しないつくられた匂い、肌触りなどは癒されない刺激であり、リズムであって、人を疲れさせてしまう。その点、森は人間がもともと慣れ親しんできたさまざまな刺激に満ちているわけです。
視覚的に見ると、森には、人工物に多い直線、鋭角などの幾何学模様はほとんどなく、木の幹は真っ直ぐ伸びているように見えても微妙にゆらぎ、その表面にも同じものが二つとない模様が広がっていて、年輪の幅にも微妙なゆらぎがあります。これを「1/fゆらぎ」といいますが、そうした中にいると脳内がα(アルファ)波の状態になり、人間の生体にリラクゼーション効果をもたらすと言われています。
色彩も変化に富んでいて、木の葉の緑も、それぞれに明度、彩度、濃淡が違い、紅葉にもさまざまな色があり、土も水も千差万別です。聴覚においても、森で聞こえる風の音、鳥の声、葉擦れの音、水の流れる音など、人為的な音とは違う、人間の心に心地よく働きかけるものがありますね。
──よく分かります。嗅覚、触覚についてはどうでしょうか。

森に寝転んで匂いを嗅ぎ、風を感じ、鳥の声を聴く(和歌山県高野町「高野山千年の森」写真提供=田中淳夫さん)
田中 森林セラピー研究会によると、フィトンチッドの成分として、イソプレンやα―ピネン、β(ベータ)―ピネン、カンフェンなどの爽やかな森の香りが検出されています。それに加えて草や土の匂い、水や空気の匂いなど、森の中の自然物が発する匂いの刺激を受けて、嗅覚が活性化するのは間違いありません。
触覚も同じです。地面の上を歩くことで、都会の舗装された道を歩いていたときには感じられなかった地面の凸凹を感じるし、地面の傾きに合わせて身体も傾くでしょう。すると、身体が無意識に反応して倒れないように上半身を動かして重心を移動したりする。これも重要な刺激と運動になりますし、木の幹に触ったり、草花を手にすることなどで、感覚も磨かれると思います。
科学的な証明も大切ですが、私はこうした実感の方がより大切だと考えています。
身近な所に、“森の癒し”の場所を見つけよう
──『森を歩く──森林セラピーへのいざない』を見ると、全国各地に森林セラピー基地があり、いろんな所で森林療法が行われていることが分かります。そうしたところに行くのが一番いいとは思うんですが、なかなかそうもいかないという人はどうしたらいいのか、アドバイスをお願いいたします。
田中 なるべく多くの森を訪ね、あの森のあの景色が素敵だった、あの木に寄り添って座っていたとき、気持ちが解放されたなどという、自分にとっての“癒しのポイント”を見つけるのがベストだとは思うんですが、とはいえ、一般の人が全国の森を頻繁に訪ね歩くというのは、現実的ではありません。旅費も時間もばかにならないし、1カ月、いや数カ月に1回森に行くというのがせいぜいだと思います。
そこで大切なのが、日常的に味わえる“森の癒し”の場所を自分が住んでいる地域、あるいは職場の近くで見つけるということです。例えば、都会であっても大きな都市公園にはたいてい樹林がありますし、最近は、オフィスビルの屋上を緑化して開放しているところもあり、神社仏閣の境内にも森があるものです。
ただ、気をつけたいのは、静かであること、車の騒音があまり聞こえないこと、人気が少ないことなど、人工的な刺激が邪魔をしないところを探してほしいですね。そして何より自分にとって気持ちよい場所を見つけることだと思います。
──なるほど、それなら身近なところで見つけられそうですね。

森の中を歩くと、視覚、嗅覚、触覚が刺激され、活性化する(長野県飯山市「母の森と神の森」写真提供=田中淳夫さん)
田中 その上で週末には、郊外の里山や遠くの森林地帯まで足を伸ばしてみましょう。そして、目を閉じて耳を澄ませ、何種類の鳥の声が聞こえるのかを試してみたり、草木の匂いを嗅ぎ、どんな葉っぱが落ちているか、どんな花が咲いているのかを観察してみたらいいと思います。そして、こうしたことをなるべく定期的に行うことをお勧めします。どこでも短時間でもいいから頻繁にできることが、日常の森林療法、森林セラピーの良さだからです。
私はしょっちゅう全国の森を歩いて取材しているんですが、仕事の一環なので、必ずしもいつも楽しめるとは限りません。そこで取材から帰ると、「森の取材で疲れが溜まったから、森林療法をしよう」と自分に言い聞かせ、家の裏山をよく歩いたりしています。(笑)
コロナ騒動に揺れる今こそ樹木とハグしよう
──新型コロナ騒動で揺れる今だからこそ、“森の癒し”が求められているという気がします。田中さんはどうお考えでしょうか。
田中 一つ、面白い話があります。コロナウイルスが世界中に蔓延する中、アイスランドの国有林を管理するハロームススタッドア・フォレストの森林局が、「友人や家族とハグできないなら、樹木と抱き合おう」と提案したというニュースが流れました。
感染を防ぐ手立てとして、ソーシャルディスタンス、つまり人と人との社会的距離を保つことが求められ、自宅などに籠もって他人と対面しないようにしているわけですが、それがあまり長く続くと、人と触れ合えないことがストレスになって精神的に辛くなってくるんです。そこで、「樹木とハグしてストレスを解消しよう」ということなんですね。
奇抜な提案のように思えるかもしれませんが、これはまさに、森林療法や森林セラピーで行っていることなんです。森の中に入り、樹木と触れ合うことで、ストレスが解消するばかりか、精神的疾患が緩和したり、疾病からのよいリハビリになることが、既に実証されているんです。
こんな時だからこそ、森の中を歩き、ゆっくりと景色を眺め、どんな音が聞こえるか、木と抱き合ってどんな香りがするか、五感をフル活用していただきたい。より一層、“森の癒し”を感じることができると思います。(2020年7月3日、インターネット通話により取材)