五嶋 稔(ごとう・みのる)さん│65歳│さいたま市 3つの絵を1枚につなげたという大作『鳥人』の前で微笑む五嶋さん。「アートギャラリー月桂樹」の個展会場で 取材/多田茂樹 写真/堀 隆弘

五嶋 稔(ごとう・みのる)さん│65歳│さいたま市
3つの絵を1枚につなげたという大作『鳥人』の前で微笑む五嶋さん。「アートギャラリー月桂樹」の個展会場で
取材/多田茂樹 写真/堀 隆弘

摩訶不思議なモダンアートの世界

 爽やかな秋風が吹く昨年(2020)10月下旬、埼玉県坂戸市の「アートギャラリー月桂樹」で開かれていた「五嶋稔展」を訪れた。会場に一步足を踏み入れると、そこには、カラフルな色彩に溢れたモダンアート、“五嶋ワールド”が広がっていた。

 会場を案内しながら、五嶋稔さんはにこやかな表情でこう語る。

「私の絵のテーマは、広く言うと“摩訶不思議”ということになるかと思います。内から湧き上がってくるイメージのままに、夢なのか、現実なのか分からない、自分でも不思議だなと思うような心象風景を描いています」

 今回の個展では、ハガキ大から40号までの84点の作品が展示され、その中でひときわ目を引いたのが、3枚の絵を一つにつなぎ合わせたという縦91センチ、横273センチの大作『鳥人(とりびと)』だ。“五嶋ワールド”の象徴と言ってもいいこの絵は、天使の羽を持つ少年が、色鮮やかな木々や雲の間を縫って空を飛ぶ様子が、幻想的に描かれていて、見ているだけで楽しくなる。

「キャンバスに向かっていると、描きたいイメージが、次から次にどんどん浮かんできて、描くのが追いつかないぐらいなんです。それで、乾きの遅い油絵の具ではなく、乾きが速くてしかも透明感と光沢があり、下に塗った色を生かした作画ができるアクリル絵の具を使っています」

 古き良き時代、昭和の頃を思い起こさせるような、鉄腕アトムや、古びたラジオ、扇風機、黒電話などもよく描く五嶋さんの信条は、「絵とは、こうでなければならないとか、理解しなければならないとかいうものではない。すべての枠を取り払って心で感じるもの」。既成の概念にとらわれない、自由な発想で絵を描いている。

毎年、生光展に出品。『生長の家』誌の表紙絵も担当

 さいたま市の自宅に専用のアトリエを構えて制作に励んでいる五嶋さんは、11年前から画業に専念するようになり、年に2、3回のペースで個展を開催。これまでに60回以上の個展を開いてきた。

 小学生の頃、母親のクニヱさんから生長の家を伝えられて青少年練成会(*1)にも参加し、何かあるたびに「人間は神の子であり、無限力がある」という教えを支えにしてきた。生長の家との縁も深く、生光展(生長の家芸術家連盟美術展)には、平成19年に初出品し「奨励賞」を受賞したのを皮切りに、毎年、作品を寄せている。

次から次に浮かんでくるイメージを、カラフルな色彩でキャンバスに描いていく

次から次に浮かんでくるイメージを、カラフルな色彩でキャンバスに描いていく

「生光展があることは、昔から知っていたんですが、オーソドックスな作品が主流の絵画展だと感じていて、私のようなモダンアートはそぐわないんじゃないかと遠慮していたんです。しかし、ある友人から、『生長の家は自由な宗教だから大丈夫だよ』と勧められ、母も喜んでくれると思って出品したんです」

 しかし、出品した直後、クニヱさんは、80歳で急逝。その葬儀が終わった後、奨励賞受賞の知らせが届いたという。

「とても残念でしたが、母が喜んでくれたに違いありません。賞をいただけたのは、母の導きのような気がして、『生命の實相』(生長の家創始者・谷口雅春著、全40巻。日本教文社刊)を読み直して母を供養し、生長の家の教えを伝えてくれたことに感謝しました」

 また、平成26年1月号からは、機関誌『生長の家』(*2)の表紙画を担当するようになり、以来、7年あまり連載を続けている。

「機関誌の表紙をという話をいただいたときは、母が生きていれば、さぞかし喜んだに違いないと思い、喜んで引き受けました。いつも、私の絵を見た人が少しでも明るく、楽しい気持ちになれるようにと願って描いています。編集者の方がいろいろコメントしてくださるので、それも大きな励みになっています」

 そのせいか、前述の展覧会には、生光展や機関誌で絵を見たという生長の家信徒がたくさん訪れ、“五嶋ワールド”を堪能した。

54歳で仕事を辞め、画業の道に専念

 五嶋さんが絵に目覚めたのは、やはりクニヱさんの影響だった。絵が好きだったクニヱさんが美術全集を買い与えてくれたり、絵の展覧会に連れて行ってくれたりしたため、子どもの頃から絵を見たり、描くのが好きになった。子どもながらに、ユトリロやモジリアニ、ゴッホなどの絵を好んで鑑賞していたという。

 小学生のときには、『ねずみの嫁入り』という童話を自ら絵に描いて紙芝居を作り、家族の前で披露したこともあった。

「高校で美術部に入って活動するようになってから、絵好きが高じて画家になりたいという夢を持つようになりました。卒業後に美術を学ぶ学校に入り、デッサン、油絵などの絵の基本を学んだんです」

 6年間の勉強を終えた後、埼玉県の知的障害者施設で働く傍ら、絵画制作に励むようになった。また、テレビのトーク番組で使用されるセットや映画の背景画を描くなどして腕を磨き、やがて日本の抽象絵画の代表的団体である「モダンアート協会」の会員に推挙されるまでになった。

「30歳になった頃からぽつぽつと個展を開くようになって自信が出てきたため、11年前、54歳のとき、画業に専念しようと決意し、55歳の定年を待たずに職場を辞めたんです」

 それから11年。さまざまな紆余曲折があったが、「人間・神の子、無限力」の教えに支えられて、現在の地歩を築くことができたと五嶋さんは振り返る。

海外20数カ国を訪れ、発想の源泉を広げる

 五嶋さんは海外によく出かけていて、これまでに訪れた国はざっとあげただけでも、タイ、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、フランス、イタリア、ロシアなど世界20数カ国に及ぶ。一人旅だったり、友人と一緒の旅だったり、時と場合によって違うが、その目的はひとえに見聞を広めることにある。

「急に昔の夢を思い出したりして、それを基に絵を描くこともあります。私の場合、どんなことでも創作の源泉になるんです」(自宅のアトリエで)

「急に昔の夢を思い出したりして、それを基に絵を描くこともあります。私の場合、どんなことでも創作の源泉になるんです」(自宅のアトリエで)

「日本にもいい所はたくさんありますが、違う国に行き、美術館を巡って名だたる画家の絵を目にし、その国の空気を感じ、人と接すると本当に得るものがたくさんあるんです。絵を描くときにも、今までと違う思いもかけなかった発想が生まれてくるので、私にとって海外の旅は、欠かすことができないものです。今は新型コロナウイルスの感染拡大で行けないのが残念ですが、これからも機会を見つけて海外を旅したいですね」

 一昨年、メキシコを訪れたときには、こんなイメージが膨らんだという。

「メキシコ人と合同の展覧会を開いたんですが、メキシコの人たちに喜んでもらうには、どんな画風にしたらいいかと考えたとき、どういうわけか、ふっとプロレスラーの覆面が浮かんできたんですよ。それで、そのイメージを基にして、『かくれんぼ』という絵を描きました。私の場合、こんなことに限らず、どんなことでも発想の種になるんです」

 写実画、抽象画の範疇に留まらず、モダンアートの世界に飛び込んだ五嶋さんの真骨頂は、この辺にあるようだ。

思いは実現すると信じて精進を続けたい

 昨年(2020)4月、五嶋さんは椎間板ヘルニアが悪化し、一時、車椅子、松葉杖を使う生活を余儀なくされた。さらに、それに追い打ちをかけるように、コロナウイルス感染が広がった影響で、予定していた個展が中止となった。

「体が不自由だったことに加え、楽しみにしていた個展も開けなくなって心が沈み、描く絵も真っ黒なものばかりになってしまいました。ところが、今回の個展は開催できることが決まったため、元気が出てきて体の調子もよくなったんです。やっぱり目標があると頑張れるし、心の持ち方一つで体にも大きな影響があるということを実感しました」

 これからの抱負を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「目には見えないけれど、すべてのものの内に、神が創られた完全円満な実相世界があると、生長の家で学びました。その善一元の光に満ちた世界を描いてみたいと思っています。思いは実現すると教えられていますから、必ず叶うと信じて精進を続けたいですね」

 その言葉から、画業一筋に生きてきた人の一途な思いが伝わってきた。

プロレスラーの覆面をイメージして描いたという『かくれんぼ』の一部

プロレスラーの覆面をイメージして描いたという『かくれんぼ』の一部

*1=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践するつどい
*2=生長の家の組織会員が購読する月刊誌