
ライバルの存在こそが、スポーツをたしなむ上で自分の成長や幸せにつながる(写真は筆者提供)

岩島啓太(いわしま・けいた)
1979年、東京都生まれ。東京・日野市でロードバイクプロショップを経営する傍ら、日本、世界で開かれるロードバイクレースに参加。自転車専門誌に寄稿し、生長の家のSNI自転車部との関わりも深い。
今回のコラムのテーマは、「自転車と哲学」ですが、正直、私は今までに哲学を学んだことがあるわけではありません。ところが、長く自転車競技に携わっていると、「自転車に乗る意味」「鍛錬することの意味」をふと考えることがあります。
最近、その答えが知りたくなり、スポーツ哲学の書籍を読んでみました。その後で考えた、現時点での私の見解をできるだけ分かりやすく書いてみたいと思います。
まず哲学とは、「常に新しい概念を創造することが目的」であり、「純粋な概念による認識」と言われています。これだと少し分かりにくいので、私なりに解釈すると、「自分と対象について考えを巡らせて深く知り、よりよく関わっていく」ということです。
一口に自転車と言っても、人によってさまざまな関わり方があります。単純な移動手段、自身の身体、精神の成長を目的とした体育、日常生活の退屈さや労働からの解放(気晴らし)を目指し、楽しみを追求するスポーツ(遊び)という側面。それらの中で、私にとって多くの比重を占めている、「スポーツ(自転車競技)」に焦点をあてて考えてみたいと思います。
そもそも、「人間の本質は遊ぶ動物である」という認識が私にはあります。スポーツは、決められたルールの中で身体を使い、他者と競い合うゲーム(遊び)です。そしてそれは、人間の持つ野性的な感情、興奮、解放感、快感を他者と共有し合える場になります。その時、自分一人ではスポーツは成り立ちません。「他者」がいるから、スポーツをする「私」が意味をなします。
「スポーツといかによりよく関わるのか」という問いへの最適の解答は、多数の「他者」との対話と競技を通じて、お互いを尊重し、友愛と寛容な心をもって強く肯定することだと考えます。
アフリカの諺に、「道に迷うことこそが道を知ることだ」とあるように、一つの対象に、試行錯誤を繰り返して関わっていくことで人生が楽しくなるのだと思います。今後も自転車の道を探し続けていきます。