神谷秀美(かみや・ひでみ)さん│64歳│愛知県 剣を振りかざして舞う神谷さん。振り上げた剣の角度や目線の位置、指先の動きや形に至るまで、見せ方にこだわる  取材・写真/永谷正樹 

神谷秀美(かみや・ひでみ)さん│64歳│愛知県
剣を振りかざして舞う神谷さん。振り上げた剣の角度や目線の位置、指先の動きや形に至るまで、見せ方にこだわる 
取材・写真/永谷正樹

 紋付袴で居ずまいを正した神谷秀美さんが舞台に立ち、氷川きよしが歌う『白雲の城』(*1)に合わせ、扇を手に踊り出すと、辺りの空気がピンと張り詰めた。

 圧巻だったのは、左腰に差した剣を抜いてからの素早い動き。「えいっ!」という鋭い掛け声もろとも剣を振り下ろし、鮮やかな剣捌きをみせて、荒れ果てた城跡で人の世の儚さを表現した『白雲の城』の世界を演じた。

「これは、刀や扇を持って舞う舞踊、剣舞という伝統芸能で、起源は奈良・平安時代の神楽とされ、明治時代に現在の形になったと言われています。本来は、詩吟に合わせて舞うんですが、最近は、人気アーティストの曲に合わせて剣舞を披露したりもしています」

 そう語る神谷さんは、師範代として剣舞教室を開いていた母親、鈴木たづ美さんの影響で10年前から剣舞を習い始めた。現在は、日本壮心流5段の腕前を持ち、宗家から「神谷秀星(しゅうせい)」の芸名を贈られている。

「詩吟の言葉の意味をよくよく理解し、詠い手の心情を汲み取って舞うと、呼吸と身体の動きが一致して、神想観(*2)を実修したときのように心身がきれいに浄められ、清々しい気持ちになります。これが、剣舞の醍醐味です」

 神谷さんは25歳の頃、近所の人から生長の家を伝えられ、ヤングミセスの集い(*3)などに参加して、「人間・神の子」の教えを学ぶようになった。32歳のとき、甲状腺の働きに異常を来すバセドウ病にかかったことが、教えをさらに深く学ぶきっかけになった。

「50歳を過ぎて、仕事以外に何かやりたいと思ったとき、剣舞をする母の姿が思い浮かび、習い始めました」

「50歳を過ぎて、仕事以外に何かやりたいと思ったとき、剣舞をする母の姿が思い浮かび、習い始めました」

「病気を治したいという一心で、『神癒のための集中講義』(*4)を読みました。するとそこに、甲状腺の病気は、陰と陽が整わない、つまり夫婦の不調和が原因と書いてあり、その頃、夫と不調和だったので、はっと思ったんです」

 日々、神想観を行い、夫婦が調和している姿を心に描いて祈るとともに、夫には和顔・愛語・讃嘆(*5)を心がけた。続けると、不思議なことに徐々に体調が回復していき、バセドウ病が癒えた。

「心で舞うのが剣舞ですから、神様と波長を合わせる神想観は、私にとってなくてはならないものです。これからも神想観に励み、一層剣舞に精進していきたいですね」

 そんな神谷さんは、東日本大震災で被災した多くの人たちの気持ちを表現した『それでも、生きてゆく』(*6)という歌で、剣舞を舞うことが夢だと話す。

「感動して何度も聴いた曲で、昨年春、宗家の入倉昭山先生にお願いし、曲に合わせた振り付けを作っていただきました。愛知教区の『自然の恵みフェスタ』(*7)などで披露したいと思っています」夢の実現に向け、剣舞の練習に励む日々を送っている。
(トップの写真は、神谷さんが剣舞を学ぶ「日本壮心流剣詩舞道」の指導助手、平岩昭正さんと稽古している)

*1=松井由利夫作詞・水森英夫作曲
*2=生長の家独得の座禅的瞑想法
*3=生長の家青年会の既婚女性の集い
*4=生長の家創始者・谷口雅春師の講話テープと書籍。世界聖典普及協会刊
*5=なごやかな顔で、優しい言葉で、誉める
*6=ATSUSHI作詞、辻井伸行 作曲
*7=自然の恵みに感謝し、低炭素なライフスタイルを展示、発表するイベント。生長の家国際本部の他、国内外の布教拠点で毎年開催されている