間宮 清(まみや・きよし)さん│65歳│神奈川県座間市
取材/佐柄全一
 
 中学生の頃に『生命の實相』*1を読み、「人間は神の子で、病本来なし」という生長の家の教えに強く惹かれた。高校生になったとき、心臓弁膜症を患ったが、『生命の實相』を読んだ感動を思い出し、教えを支えに克服しようと決意。真理の言葉を紙に書き、唱え続けているうちに症状が軽減していった……。
*1 生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻

近所にある遊歩道を散策する。「春は見事な桜並木になるんですよ」(写真/遠藤昭彦)

近所にある遊歩道を散策する。「春は見事な桜並木になるんですよ」(写真/遠藤昭彦)

高校生の時に心臓弁膜症を患う

 
 約半世紀前、ユリ・ゲラーがテレビで超能力を披露し、世間を驚かせた。当時中学2年生だった間宮清さんも、その魅力に取り憑かれ、小遣いを貯めて関連の書籍を読み漁った。その中で出合ったのが、生長の家の『生命の實相』を紹介する科学者の著書だった。

「その科学者は『生命の實相』を読んで胸の病気が治り、霊感も開けたと書いていました。それなら引っ込み思案な自分の性格も直るのではと思い、『生命の實相』を読んでみたんですが、昭和初期に書かれた本なのにとても新鮮でした。例えば『人間は神の子で、病本来なし』ということの原理や実証例が紹介されていて、手離せない本になりました」

 その後、性格も次第に明るくなり、高校進学後は、地元の書店で生長の家の書籍を次々と購入し、2年ほどでそのほとんどを読み終えた。さらに、勇気を出して当時、東京・原宿にあった生長の家本部*2に電話で問い合わせ、紹介された生長の家高校生連盟*3に入会。近隣の誌友会*4にも参加して、教えを学ぶようになった。
*2 生長の家国際本部
*3 生長の家の高校生のグループ
*4 教えを学ぶつどい

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「そこで、信仰について語り合える先輩に出会いました。鍼灸師をしている盲目の男性で、わが子の眼病を治したいという母親の導きで入信した人でした」

 その母親は、いくら信仰に励んでも息子の眼病が治らないことに戸惑っていた。生長の家の書籍には、信仰による不治の病の快復例が多く掲載されていたからだが、盲目の男性の捉え方は違っていた。

「人間は何度も生まれ変わる存在で、目の不自由な現世もあっという間のことに過ぎず、治るか治らないかという現象にとらわれないで、『人間・神の子』の実相*5を信じ、教えを実践すればそれでよいと言うんです。その心境の高さに驚きました」
*5 神によって創られたままの完全円満なすがた

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 そんな矢先、間宮さんは思わぬ出来事に見舞われた。高校3年生の1学期、授業中に突然激しい動悸に襲われ、病院で検査すると、心臓弁膜症と診断された。

「生長の家の書籍を読んで信仰しているのに、なぜ、病気になるんだろうと悩みました」

言葉と魂が一体となって

 
 不安が募る中、病院で処方された薬を飲みながら、生長の家本部の神癒祈願部*6(当時)に病気の快癒をお願いした。だが一向に改善しなかったため、盲目の先輩に相談すると、「神癒の霊波は、自分の心が整わなければ受け取ることができない」と諭された。
*6 神の癒しによって、問題が解決するように祈ってもらうこと

「その通りだなと思うと同時に、人任せではなく、まず自分が変わらなければ病気も治らないことに気づかされました」

 早速、生長の家本部の個人指導部(当時)に行き、指導を受けた。すると「家にいるときも、学校にいるときも勉強しているときも、ちょっとした合間に、『私は神の子、完全円満。私は全ての人・物・事に感謝し、愛のために生きる。嬉しい、楽しい、素晴らしい』と心の中で唱えてください」と言われた。

15年前に妻の浩子さんを亡くし、今は一人暮らしの間宮さん。「妻は霊界で生長の家の教えを勉強し、見守ってくれていると思っています」(写真/遠藤昭彦)

15年前に妻の浩子さんを亡くし、今は一人暮らしの間宮さん。「妻は霊界で生長の家の教えを勉強し、見守ってくれていると思っています」(写真/遠藤昭彦)

「最初は紙に書き、時間を見つけて小声で読み上げていたんですが、慣れてからは指導された通り、心の中で唱えるようにしました。朝起きてから夜眠るまで、間断なく唱え続けると、言葉と自分の魂が一体になるような感覚になっていきました」

 3カ月ほど続けるうちに、激しかった動悸は次第に治まり、全身に命が満ちている実感と、「もう治った」という確信が湧いてきた。総合病院での検査でも、心臓弁膜症が完治していることが分かった。

「本当に嬉しく、生長の家の教えの素晴らしさを心の底から実感した体験でした」

霊界の妻と教えの研鑽に励む

 
 その後、大学の工学部に進学し、卒業後は念願の自動車会社に就職。ハンドル専門の設計部門に配属され、60歳の定年まで勤め上げた。

 その間、34歳のときに浩子さんと結婚し、幸せに暮らしたが、浩子さんは、15年前にすい臓がんで亡くなった。

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「神想観*7を行い、聖経*8を読誦して妻の快癒を祈ったのですが叶わず、深い無力感を味わいました。しかし、一番の心配は、妻は成仏しているのだろうかということでした」
*7 生長の家独得の座禅的瞑想法
*8 生長の家のお経の総称

 葬儀の後、霊界の御霊を供養してくれる霊宮聖使命会*9に浩子さんを入れ、自宅マンションの仏壇で、毎朝、聖経『甘露の法雨』*10を読誦するようになった。
*9 生長の家の運動に賛同して献資をする会
*10 生長の家のお経のひとつ。現在、品切れ中

「部屋のレイアウトや飾りは全て妻がやったもので、そのままにしてあります」(写真/遠藤昭彦)

「部屋のレイアウトや飾りは全て妻がやったもので、そのままにしてあります」(写真/遠藤昭彦)

「その後、地方講師*11となったのも、私が『人間の生命は永遠生き通しである』という生長の家の教えを学べば、それが霊界の妻にも伝わると教えられたからです。これからもますます教えの研鑽に励み、妻とともに信仰を深めていきたいと思っています」
*11 教えを居住地で伝えるボランティアの講師

 超能力ブームをきっかけに生長の家を知った間宮さんは、50年を経た今も、尽きることのない真理探究の情熱を持ち続けている。