福島伸治(ふくしま・のぶじ)さん│77歳│広島市安芸区
取材/原口真吾(本誌)
一昨年5月、突然脳梗塞で倒れ、右半身に麻痺が残った。入院中は『生命の實相』*1を何度も読み返して心を明るく保ち、心身を健康にする“笑いの力”が胸に深く響いた。朝、誰もいない病院の屋上で、声を上げて笑う時間を作ると、リハビリの効果がいっそう上がり、運転免許も再取得することができた。
*1 生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻

神想観で結核が癒える
高校を卒業後、地元の造船所で働いていた福島伸治さんに、異変が起きたのは22歳のときだった。
ある朝、起きると急に咳が出て、口元を押さえていた手を見ると、べっとりと血がついていた。驚いて病院を受診したところ、結核と診断され、そのまま入院した。
「高校生のときに、42歳だった父が脳梗塞で倒れて働けなくなったため、高校卒業後は、弟や妹の面倒をみながら、母と2人で働いて家計を支えていました。なので、早く結核を治さなければと焦りました」

父親から贈られた生長の家の書籍。本文には、マーカーで線がいくつも引かれていた(写真/髙木あゆみ)
そんなとき、不自由な体を押して見舞いに来た父親から、「これを読んだら必ず治る」と『生命の實相』を手渡された。手に取ると、心を変えることで病気が治ったという体験談が紹介されていて、その中に出てくる「神想観」*2という言葉が気になった。父親に尋ねたところ、『詳説 神想観』*3という本を持ってきてくれ、神との一体感を深め、神の心に波長を合わせる、生長の家独得の座禅的瞑想法のことだと知った。
*2 生長の家独得の座禅的瞑想法
*3 現在は新版。生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊
「朝、空いている病室で、その本を読みながら見よう見まねで神想観を行いました。続けるうちに、光が自分の中に入ってくるような感覚とともに、神様に守られているという実感が湧いて、病気への不安が消えていきました」
すると、結核は順調に回復して3カ月後に退院し、仕事に復帰することもできた。それから生長の家青年会*4の一員となり、同じ信仰を共にする仲間たちと伝道にも励むようになった。
*4 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織

長女と妻の死を乗り越えて
しかし、3年ほど経った頃、父親が2度目の脳梗塞で倒れ、寝たきりになった。熱心に信仰していたのに、なぜだろうという疑問が浮かんだ。さらに27歳で結婚し、翌年に生まれた長女は、先天性の病を持っていて、生後1カ月を待たずに亡くなり、疑問はさらに大きくなった。
「それを機に青年会からは離れてしまったんですが、それでも生長の家の存在は大きく、長女のために毎日、聖経『甘露の法雨』*5を誦げて供養に努めました。とはいえ、いのちは永遠生き通しであると学んでも、悲しみは癒えませんでした。しかし、供養を続けるにつれ、長女が私たちを親として選んで生まれて来てくれたことに感謝する思いに変わっていき、その後、長男と次女に恵まれました」
*5 生長の家のお経のひとつ。現在、品切れ中

時が過ぎ、造船所を退職して配送の仕事をしていた50歳の頃、配達先の玄関に、生長の家の日めくり暦『ひかりの言葉』*6が掛けられているのを見かけた。懐かしくなり、その家の人に声をかけると、講習会に誘われ、参加したことが再び生長の家を信仰するきっかけとなった。
*6 生長の家総裁・谷口雅宣監修、生長の家刊
青年会のときの情熱が再燃し、相愛会*7に入った福島さんだったが、平成28年、66歳の妻がインフルエンザを発症したあと、糖尿病との合併症を引き起こして亡くなった。
*7 生長の家の男性の組織
「もっと優しくしてあげればよかったと、本当に後悔しました。ですが、以前に参加した誌友会*8で、家族を褒めるという宿題が出て、家に帰って初めて妻に『愛してるよ』と言ったことがあるんです。そのとき、『もう一回言って!』と喜んでくれた妻の顔が目に焼き付いていて、折れそうな心を支えてくれました」
*8 教えを学ぶつどい
社会や人に与え返す生き方を
一昨年の5月、今度は福島さん自身に大きな出来事が起きた。
その日は、市内に住む次女の家に行く用事があったが、買い物のメモを書こうとしたとき、なぜか文字が浮かばない。すぐ、右腕の動きまでが鈍くなった。
「これはおかしいと思ったんですが、次女と約束していたので、予定通り車で向かったんです。今考えると、よく運転したものだと思いますが、次女のマンションの駐車場に着き、車から降りるところで足が動かなくなり、転倒してしまいました」

「人生のあらゆる出来さをそのまま受け入れ、そこから出発しようという思いでいます」(写真/髙木あゆみ)
物音に気づいた次女の夫が駆けつけ、救急車を呼んでくれたため、病院へ緊急搬送された。脳梗塞を起こしていることが分かったが、血栓を溶かす薬剤の点滴治療ができたことで手術を免れた。しかし、右半身と顔面に麻痺が残り、しばらくしてリハビリ専門の病院に転院した。
「長男や次女、相愛会の仲間たちも見舞いに来てくれ、改めて家族と信仰の絆の強さを感じました」
入院中は、『生命の實相』第7巻を何度も読み返し、どんなことがあっても心を明るく保ち、笑って生きることが大切だと痛感した。
「朝、誰もいない病院の屋上で、声を上げて笑う練習をしたお陰で、気落ちすることはありませんでした。当たり前に手足が動くのが、どれほど有難いことなのかと実感し、リハビリによって少しずつ回復していく体にも感謝しました」

福島さんは外出時、いつもゴミ袋とトングを携帯している。「ゴミを掴んで離す動作は、良い手のリハビリになるんですよ」と、朗らかに笑う(写真/髙木あゆみ)
5カ月のリハビリを終えて退院した福島さんは、運転免許の再取得に挑戦して合格しただけでなく、これからは、社会や人に与え返す生き方をしていこうと決意。買い物や散歩の際にゴミ袋とトングを持ち、ゴミ拾いをしながら歩くようになった。
「妻や娘の死、病気を通して、人生に大切なものは何かを学ばせてもらいました。私に生長の家を伝えてくれた父は、昭和50年に66歳で亡くなりましたが、父にならい、私も多くの人に生長の家を伝えたいと思っています」
しみじみとした福島さんの話しぶりが、印象に残った。





