中村時子さん│75歳│広島市安佐北区
取材/多田茂樹 写真/髙木あゆみ

自ら作った昼食をお盆に載せて微笑む中村さん。SNオーガニック菜園部のエプロンをつけて
肉を食べようという気にならない
中村時子さんの自宅は、賑わいのある広島市の中心街からかなり離れた場所にある。それだけに、美しい緑に囲まれた自然豊かな環境が広がっている。
「20年前にここに引っ越してきたときは、周りには田んぼもあり、ホタルが飛び交い、水田を渡るさわやかな風が吹いていて、夏でもエアコンは必要ありませんでした」
笑いながら当時を振り返る時子さんは、地方公務員だった夫の誠治さんの転勤に伴い、広島県内を転々としてきた。しかし、これほどの田舎は初めてで、慣れるまでに時間がかかったという。
「でも、今はすっかり馴染んで、週に2、3回、夫と付近を散歩して自然を満喫しています。散歩のときはいつもゴミ袋を持ち、道路脇に捨てられたゴミを拾ったりしています」

自宅の近くの道を、ゴミ拾いのトングと袋をもって誠治さんと散歩する
中村さんは、もともと肉料理はあまり食べなかったが、15年ほど前から、ノーミートで野菜中心の食生活を送るようになった。ちょうどその頃、生長の家地方講師*1の昇格試験を受けることになり、そのための勉強会に参加したのがきっかけだった。
*1 教えを居住地で伝えるボランティアの講師
「殺生を避け、肉食を控えることで環境問題にも貢献できることを知って、ノーミートの食生活をしようと思ったんです。また、谷口雅宣先生*2のご著書を読んで、肉食が健康にもよくないことを学び、その思いがいっそう強くなりました」
*2 生長の家総裁
誠治さんは、以前から豆腐や納豆などを好んで食べていたため、時子さんからノーミートの食生活を提案されたときも、それほど抵抗なく受け入れてくれたという。
「それでも最初のうちは、時々、肉が食べたいなんて言って、一人で留守番しているときに、自分で作って食べたりしていたようでした」
しかし、時子さんが生長の家の集まりで肉食の弊害について学び、それとなく誠治さんに伝えると、次第に理解してくれるようになり、肉をほとんど口にしなくなった。
「そんな生活を続けたことで健康になり、二人とも病院に行くのは予防接種のときくらいになったので、主人も今では、すっかりノーミートの食生活に馴染んでくれています」
誠治さんは以前、数回、大腸にポリープができ、内視鏡を使った手術で摘出するなど、健康に不安を抱えていた。しかし、ノーミートの食生活を続けてからは、毎年の健康診断でも異常なしと言われ、健やかな日々を送っている。

菜食を続けているためか、夫婦揃って健康だ
「『年を取ったら動物性の食品を摂ることが必要』といった肉食を勧める話をよく聞きますが、ノーミートで十分健康な暮らしができているという実感があるので、肉を食べようという気にはなりません」
子どもの頃の忘れられない思い出
広島県呉市出身の時子さんは、祖母、母親を通して生長の家の教えに触れた。時子さんより前に生まれた二人の子どもが、生後間もなく亡くなったこともあって、祖母と母親は、そうした因縁を断ち切りたいと信仰の道に入った。
「何より私に影響が及ばないようにという愛念で、祖母と母が生長の家に入信したことを思うと、二人にはいくら感謝してもしきれません」
そんな祖母と母親の影響で、時子さんは小さい頃から、生長の家の「人間は神の子である」という教えを学んで育ったが、当時のことで忘れられない思い出がある。家のお墓参りに行く途中に屠殺場があり、そこに連れて行かれる牛を目撃したことがあったのだ。
「子ども心に、牛がとても悲しい目をしているのが分かりました。ノーミートの食生活を始めようとしたとき、このことを思い出したのも、一つの引き金になりました」

すべてノーミートで作られた中村家の食事
一方、時子さんから生長の家の話を聞くうちに誠治さんは、「人間は本来、完全円満な神の子」と説く教えに共鳴し、広島教区の講習会が開かれていたときには、毎回、娘と一緒に参加してくれた。
「主人は、講習会で先生方の講話を聴くことで理解が深まったようで、運営係を務めて講話を聴けなかった私のために、近県で講習会が開かれたときも、私を車に乗せて連れて行ってくれました。だから私が、肉食を避けたいという話をしたときもあまり抵抗なく、受け入れてくれたんだと思います」
オープン食堂でも活躍
時子さんは、家庭でノーミートの食生活を送るだけでなく、3年前からは、広島県教化部*3で開かれているオープン食堂*4の厨房係の一員としても活躍している。毎月、食堂で振る舞うノーミート料理のメニューを他のメンバーと共にアイデアを出し合って決めるが、メニューが決まると、必ず家で作って試食するのをモットーにしている。
*3 生長の家の布教・伝道の拠点
*4 生長の家の各教区が開催する、地域に開かれた食堂
「参加してくださった皆さんに喜んで食べていただけるように、前もって、ちょっとした工夫を凝らして作ることを心がけています。例えば、野菜などを油で炒める料理のときは、初めにアルミ箔に包んで蒸し、最後にちょっとだけ油を入れるようにすると、油の量を減らすことができ、よりヘルシーで野菜本来の味が活きるんです」
そうしたオープン食堂での活動は、教区の男性たちにも影響を与えていて、時子さんは、「最近は、レシピを聞いて料理を作って楽しんだり、一人暮らしをしているご近所の方に作った料理をお裾分けしてくれる男性も現れて嬉しいです」と顔をほころばせる。

養鶏場で購入した卵を使った料理
時子さんは、誠治さんと一緒に家の前の庭にある畑で、さまざまな野菜を育て、自分たちで食べるのはもちろん、オープン食堂の食材としても提供して喜ばれている。今回、取材で訪問したときには、丹精込めて作ったムラサキタマネギ、ブロッコリー、ネギ、ビーツなどが実り、夏に向けてキュウリやトマトも植えられていた。
畑の周囲に青々と茂っていた榊は、靖国神社で購入した苗から育てた由緒あるもので、神棚に供えて拝んでいるという。
「わが家の野菜は無農薬で育てているので、少し小振りのものが多いんですが、食べると野菜本来の味がして、とてもおいしいんです。家の畑で作っていない野菜は、近くの道の駅にある市場で調達していますが、その場合も地産地消、旬産旬消を心がけています」
卵は、近くの知人が勤めている養鶏場で購入しているが、その知り合いは、オープン食堂のために卵を寄付してくれるなど、地域に協力の輪が広がっている。
多くの人に意義を伝えたい
「オープン食堂の看板は、書道師範の資格を持つ主人が書いてくれたもので、皆さんにも好評です。その協力に感謝の気持ちを込めて、四年前に空き家になった持ち家を改装し、主人の書の作品を展示するギャラリーにしています」

家の前の畑でタマネギを収穫する
ここでは白鳩会*5の誌友会*6も開かれ、集まりが終わった後は、参加者が持ち寄った、国産材料による手作りのお菓子やオープン食堂のための試作品に舌鼓を打ちながら誠治さんの作品を鑑賞しているという。
*5 生長の家の女性の組織
*6 教えを学ぶつどい
「これからも環境保全のため、家族の健康のためにもノーミートの食生活を続けるのはもちろん、もっと多くの人にその意義を伝えられるように、ますます信仰に励んでいきたいと思っています」
そう言って、時子さんは誠治さんを見やり、晴れやかに笑った。

「『旬産旬消、地産地消』を心がけています」





