神想観は瞑想によって
自己の内にある神性の自覚を
確立する方法なのである。
想念を純粋にし、静かにし、
ただ神の生命(いのち)われに流れ入りて
われとなりたまえりという
想念を瞑想することによって、
自己の存在の中心に
実相なるものを確立するのである。

(谷口雅春著『如意自在の生活365章』120ページ、日本教文社刊)
* 神によって創られたままの完全円満なすがた

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 生長の家には「神想観(しんそうかん)」という独得の瞑想法があります。一般的な瞑想とは異なり、その名の如く「神を想い、観じる」瞑想法です。生長の家では「神は完全円満であり、すべての善なるものの創り主」と説いています。そして、神が創られた完全円満な世界を「実相」と言い、実相が世界の本当の姿であると教えています。

 一方で、五感を通して認識している世界を「現象」と言います。現象は日常の出来事そのものなので、目の前に実在しているように感じられますが、心が映し出した影のようなものであり、生長の家では「現象無し」と言います。神想観は、そうした現象の状況を良くするために神に懇願したり、足りないものを求めたりする瞑想ではありません。ひたすら実相を想い、観じることに集中するのです。

心の波長をどこに合わせるか

 
 とはいえ、「人生は山あり谷あり」と言われるように、人生には様々なことが起こります。「現象無し」といえども、嬉しく喜ばしいことばかりではなく、時には悲しいことや困難に直面し、不安や心配を感じるものです。 

 例えば体調を崩したり、思わぬトラブルに遭ったりした際、「現象無し」の教えを忘れ、神や実相を思い描くことの難しさを痛感された方は少なくないでしょう。こうした時こそ、現象の出来事に対応しつつ、心の焦点を実相に合わせることが大切です。なぜなら、「心に思ったことが現れる」のが心の法則だからです。

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 皆様は、興味や関心を寄せていることが身の回りに集まったり、よく目についたりするといった経験はないでしょうか。これは、心が波長を合わせているものが、自ずと意識に浮かび上がってくることから起こる現象です。

 私たちが普段何を思い、どこに心の波長を合わせているかは重要です。ぜひ神想観を実修し、神が創造された完全円満な世界や、ご自身の完全円満な姿に心の焦点を合わせましょう。きっと、皆様の日常に実相の素晴らしさが顕れてくるでしょう。

(興梠康徳(こうろき・やすのり)・生長の家本部講師補)