認知症の義母の介護に追い詰められていた時、脳出血で倒れた。
一瞬にして日常から切り離されたが、病を通して自分を見つめ直し、当たり前の日々への感謝が深まっていった。
6年前、脳出血で倒れた私は、右半身が麻痺し、言葉も不自由になりました。病室のベッドで過ごす日々のなか心に浮かんだのは、「なぜ私が」でも、「どうしてこんなことに」でもありませんでした。
「ああ、やっぱり私だったか。でも、私でよかった」
不思議なことに、そんな思いが湧いてきたのです。
当時の私は、認知症の兆候が見え始めた義母との同居生活のなかで、自分でも気づかないうちに無理を重ね、心も体も限界に近づいていたのかもしれません。
それに、もし倒れたのが夫だったら、あるいは義母だったらと考えたとき、「私でよかった」という安堵の思いがよぎったのです。

義母との葛藤
義母は情が厚く、思ったことを率直に口にする人でした。義父とはうまくいっていないようで、毎日のように電話を掛けてきて、義父と喧嘩したなどと愚痴をこぼしました。私はなかなか電話を切ることができず、心のどこかで疲れを感じていました。
数年後、義父母と同居することになりました。そんななか、幼い頃に母から伝えられた生長の家の教えが心の支えになりました。「相手を変えるのではなく、自分の受け止め方を変える」ということや、「善のみが実在である」と、練成会*1で学んだ教えを思い出して心を整えました。
*1 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
やがて義父が亡くなり、月日が経つにつれて義母に認知症の症状が現れ始めました。生活の中で様々な混乱が起きるようになり、介護の負担は大きくなっていきました。それでも私は、「何とかなる」と自分に言い聞かせながら毎日を過ごしていました。
脳出血を起こしたのは、そんな頃のことだったのです。

困難は敵ではない
その日、電話を終えた直後、部屋で倒れて意識を失いました。仕事から帰った夫が救急車を呼んでくれたそうで、気がついた時には病院にいました。しかし、記憶はまったくありません。その後もしばらくは時間の感覚があいまいでした。意識がはっきりしたのは、入院して3週間ほどたってからだそうです。
言葉が思うように出ず、人の話も分かる時と分からない時がありました。右半身はまったく動かず、それまで普通にできていたことが、何一つできなくなりました。
1週間後に、集中治療室から一般病棟に移りました。私は「この病気にも意味があるはずだ」と思いましたし、絶望することなく前を向いて生きようという気持ちを失いませんでした。それは、「困難は敵ではない。自分の中にある力を引き出してくれる味方である」と、生長の家で学んでいたからです。
3週間後にはリハビリ専門の病院へ転院することになり、夫が病院へ迎えに来てくれた時、車椅子から立ち上がり、そのまま夫のもとへ歩いて行くと、夫は驚いていました。はっきりとした記憶はありませんが3日目から歩く練習をしていたので、私にとっては普通のことでした。
毎日3時間ほどのリハビリが始まりました。最初は書くことも、スマホの操作もできませんでした。自分の名前を書こうとすると、漢字は頭に浮かぶのに違う字を書いていて、それが間違っていることさえ分からないのです。
話そうとしても「あれ」「それ」ばかりになってしまい、思っていることをうまく伝えられませんでした。文章を読むことも難しく、短い言葉でも意味が頭に入ってきませんでした。

ほんの小さな進歩でも
それでも、「人間は神の子で、実相*2は完全円満。病は仮の姿で本来無い」という教えは心の中にありました。現象として病気はあり、右手も思うように動かず、言葉も出ませんが、「本当の私は病気ではない」という思いはしっかり持っていました。
*2 神によって創られたままの完全円満なすがた
左手で食べたり、字を書いたりする練習を続けました。最初は少ししか動きませんでしたが、その頃の私には一つひとつが大きな挑戦でした。
以前は当たり前だったことが、少しでもできるようになると、飛び上がるほど嬉しくなりました。ある日、スプーンを右手に持ち替えて、二、三口食べることができたのです。ほんの小さな進歩でしたが、「やったー!」と喜びました。
言葉のリハビリも簡単ではありませんでした。頭では分かっているのに言葉が出てこないもどかしさがありました。それでも、一つずつ思い出しながら、言葉を取り戻していきました。
退院する頃には、作業療法士の先生が、「ここまで回復した人に初めて会いました」と言ってくださいました。
退院後もしばらく外来リハビリに通いましたが、少しずつできることが増えていきました。スマホで文字を打つことや、文章を読むことも、話すこともできるまで回復し、車も再び運転できるようになりました。

すべてに意味がある
その間も、義母の介護は続いていました。認知症が進み、私が退院した後は自宅での世話が難しくなったため、施設を探すことになりました。ケアマネジャーさんが親身に対応してくださったおかげで、特別養護老人ホームへの入所が決まりました。
入院中の私に代わって夫が動いてくれ、病気の私と認知症の義母を支えてくれたことには感謝しかありません。施設の職員の皆さまも、義母を大切にしてくださいました。
義母は2年前に他界しましたが、亡くなる前、私に「苦労をかけてごめんな」と声をかけてくれました。その言葉を聞いた瞬間、長い間抱えていたわだかまりがすっと消えていきました。義母もまた苦しみながら生きていたのだと思えたのです。

病気も介護も、振り返ればすべてに意味があったのだと思います。生長の家の教えがなければ、私はきっと乗り越えられませんでした。今は病気を通して信仰が深まったと感じています。
一番の気づきは、「誰もが本当に神の子なんだ」と思えたことです。それまでも「人間は神の子」と学んできました。しかし、医師や看護師、リハビリの先生、施設の職員、そして最愛の夫——皆の温かさに触れるうちに、「誰もが尊い神の子なのだ」と自然に思えるようになったのです。そして私自身も、完全円満な神の子であるという自覚が深まりました。
現在は、見た目では後遺症があったとは思えないほど回復しました。夫とは「これからは好きなことをして、明るく楽しく生きよう」と話しています。美術館へ出かけたり、映画を観たり、そんな何気ない日常が今は本当にありがたいのです。
脳出血という大きな出来事を経験しましたが、その先には感謝の日々が待っていました。これからも一日一日を大切に、明るく歩んでいきたいと思います。





