亡き母のことを思い出す時、聖経*1を誦(あ)げる後ろ姿が脳裏に浮かんできます。母は95年の生涯を全(まっと)うし、3年前に霊界へ旅立ちました。
*1 生長の家のお経の総称

 母の結婚生活は大変だったようで、父は仕事が定まらず、私も幼い頃、今日一日の食事にも事欠(ことか)く日があったのを覚えています。そのような時、お隣の方が母に熱心に生長の家を勧めて下さいました。生長の家の「人間は神の子である」という真理に触れ、先祖供養の大切さを知った母に、供養を始めて半年が経った頃、転機が訪れました。

 私が住んでいた町では、戦後、繊維産業が発展してきたこともあり、両親は織物業を始めたのです。自動織機6台から始め、10年後には18台まで増えました。私は高校卒業後、2年間は県内の企業に就職しましたが、父から言われて家業を手伝うようになりました。

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イラスト/せのおりか

 その頃、生長の家青年会*2の女子青年一泊見真会(けんしんかい)*3に誘われたのを機に、青年会活動に邁進するようになりました。そのような青春まっただ中、母が私によく言った言葉があります。それは、「あなたは中村家の跡取(あとと)り」でした。私は2人姉妹の長女でしたが、家を継ぐということに葛藤しました。
*2 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
*3 教えを学ぶつどい

 嫁(とつ)ぐのではなく、婿(むこ)を迎えることに複雑な思いがあった頃、『生長の家』誌*4の文章が目に留まりました。何気なく読み始めると、そこには家を継ぐということは、建物でもなく、家族でも家庭でもなく、先祖から連綿と続いてきた生命を継ぐことである、というようなことが書かれていました。それを読んだ時、我が家は分家(ぶんけ)ですが、中村家の今日まで続いてきた生命を受け継ぎ、繋いでいこうと不思議に素直な気持ちになりました。
*4 昭和5年3月1日に生長の家創始者・谷口雅春先生によって発刊された生長の家の月刊誌
 
 婿を迎えようと決意した私は、当時の教化部長*5が女子青年の見真会で次のように言われたのを思い出し、実行しました。それは結婚相手を求めるなら、皇太子様と御婚約された時の記者会見で美智子様が、「とても御誠実で御立派で、心から御信頼申し上げ、御尊敬申し上げていかれる方」とお答えになっておられたので、そのように「魂の半身(はんしん)」を求めたら良いというお話でした。
*5 生長の家の各教区の責任者

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 早速、神想観*6を実修する時に、「わが魂の半身様、貴方は御誠実で……御尊敬申し上げる方」と祈り続けました。しばらくして白鳩会*7の方からの紹介でお見合いをすることになりましたが、祈っていたこともあり、お会いする前から心を決めていたように思います。
*6 生長の家独得の座禅的瞑想法
*7 生長の家の女性の組織

 お見合いの相手を紹介していただいた時、以前、友人と島根県に旅行して出雲大社を参詣した折、境内の荘厳な佇まいに圧倒されて感動し、こんな素敵な所には必ず良き人(夫)とまた来たいと強く思いながら、参拝したことを思い出しました。なぜならお見合いの相手は、奇しくも島根県出身だったからです。

 婚約後に二人で出雲大社に詣でることができ、願いが叶いました。そして数年前には、3人の子供たちの家族共々13人で、思い出の出雲大社に参拝することができました。

 母が生長の家の教えに触れ、私も20歳頃から真理を学ぶ機会に恵まれて、今日まで導かれて参りました。夫も十数年前に地方講師*8を拝命し、夫婦で共にこの素晴らしい教えを宣布する道を歩んでいます。
*8 教えを居住地で伝えるボランティアの講師

中村明美(生長の家地方講師)
生長の家白鳩会愛知教区連合会長。3人の子供は独立し、夫と2人暮らし。7人の孫の成長が楽しみ。ダンボールコンポストの堆肥で、野菜を育てている。