A 欧米諸国に追いつくには中央集権的な君主制が適していると考えられたからです。その結果、「個人の尊重」が軽視されました。

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 前回述べたように、明治の政治家や国民のなかには、近代立憲主義を正しく理解する人びとがいました。しかし、明治憲法は、ドイツのプロイセン憲法に倣(なら)い、人権保障と権力分立を形式的に備えつつも君主制の維持のために国家権力を強くする外見的立憲主義の憲法になりました。

 なぜかと言えば、明治維新は市民が主役のフランス革命とは違って権力者主導の変革で、一日でも早く欧米諸国に追いつくには、中央集権的な君主制が適していると考えられたからです(*1)。その結果、明治憲法は、神を権力の源泉とする君主が立法権と行政権を持ち、国民に自然権を認めなかったプロイセン憲法と同様、神話を権力の源泉とする天皇が立法権と行政権を持ち、国民の人権を制限する内容となりました(*2)。

 明治憲法に近代立憲主義が基本とする「個人の尊重」の理念がなく、国民の人権が制限されたことは、日本が危機に陥ったときに弊害(へいがい)となって現れました。つまり、昭和初期に起きた金融恐慌から不況に陥(おちい)り、その苦境から脱しようと国家主導で海外へ進出し、危機を乗り越えようとしたことが、個人の権利を抑圧して国家に力を集中させることとなり、全体主義や国家主義へとつながっていったのです(*3)。その結果、日本は戦争へと突入していきました。

 立憲主義が根づいた国と外見的立憲主義の国の違いは、戦争における人の命の扱い方にも現れました。

 立憲主義のアメリカは、パイロットが乗る戦闘機のコックピットの周囲を鉄板で覆い、人の命を守ることを優先しました。一方、日本は、人の命を鉄砲玉のように扱ったため、戦闘機にパイロットの命を守る工夫をしなかったどころか、戦争末期には爆弾を積んで敵艦に体当たりする特攻攻撃によって多くの若者の命を失わせました。

 個人の尊厳を踏みにじる戦争を肯定することは決してできませんが、立憲主義のアメリカと、外見的立憲主義の日本との間には、明らかに人の命に対する考え方の違いがあったのです(*4)。

*1 大浜啓吉著『「法の支配」とは何か』iii〜ivページ、岩波新書刊
*2 前掲書、iv〜vページ、53〜54ページ
*3 木下康彦、木村靖二、吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』490ページ、山川出版社刊 / 伊藤真著『憲法問題』243〜244ページ、PHP新書刊
*4 伊藤真著『憲法問題』244〜245ページ、PHP新書刊