A 一人ひとりの“神の子”としての良心を政治に反映し、善き社会の実現を目指すのに適しているからです。

hidokei96_kenpou

 この欄では、立憲主義や民主主義について学んできましたので、そのまとめとして回答をします。

 まず、立憲主義とは、権力者が好き勝手に国民を支配することがないように、憲法によって権力を縛り、権力を分立させ、人が生まれながらにして持っている権利や自由(基本的人権)を守る立場のことでした。一方、民主主義とは、国民が権力を所有し、行使する政治のあり方で、“自分たちのことは自分たちで決めたい”という政治的自由の要求に基づいていました(*1)。

 しかし立憲主義がなく、民主主義だけで国家運営しようとすると、危険な状態になることがあります。

 例えば安倍首相は、「民主主義に立憲主義は不要」だと言っています(*2)。この考え方は、少数者の発言や行為の自由を抑圧する「多数者の専制」をもたらし、独裁政治を招きかねません(*3)。実際に、憲法違反といわれる集団的自衛権を行使できる安全保障関連法案(2015年)や、基本的人権の保障を脅かす共謀罪(2017年)を強行採決するなど、独裁的な傾向が露わになっています。これが立憲主義に基づかない、民主主義政治の悪例なのです。

 立憲民主主義であれば、与党が国会で圧倒的多数であっても、憲法に基づく誠実な政治を行い、少数者の声にも耳を傾け、その権利や自由を守ることができます。これは人類が歴史の中で学び取った英知の結晶でもあるのです。

 従って生長の家は、一人ひとりの基本的人権の保障を目的とし、権力の分立を不可欠とする立憲主義と、民主主義を組み合わせた「立憲民主主義」を支持します。この考え方は、国民の政治的自由を最大限に認めつつ、民主的な選択で選ばれた政府を憲法で制約し、多数者が好き勝手に権力を行使することを防ぐことができるからです。

 また、立憲民主主義は、私たち一人ひとりが“神の子”の良心に基づき、主体的で自由な選択をすることが憲法で保障され、民主的ルールを通して善き社会の実現をめざせる考え方なのです。

*1 生長の家総裁・谷口雅宣監修『“人間・神の子”は立憲主義の基礎──なぜ安倍政治ではいけないのか?』(生長の家、2016年)34〜35ページ参照
*2 前掲書28ページ参照
*3 『日時計24』 No.91(2017年10月号)42ページ参照