日系3世としてブラジルで生まれ、29歳のときに自分のルーツである日本に移住した。職場での軋轢に悩んでいたとき、生長の家を信仰する父親のアドバイスを通して、「人間・神の子」の教えに触れ、夫婦で在日ブラジル人を対象にした生長の家のつどいを開くようになった。

坂本芳則(さかもと・よしのり)さん│63歳│山梨県南アルプス市
取材/原口真吾(本誌)

自分のルーツである日本へ

 
 日系3世としてブラジルで生を受けた坂本芳則さんは、平成2年、29歳のときに、経済苦から日本に渡った。

「当時のブラジルはインフレがひどく、日ごとに物価が上がっている状態で、妻も仕事をしていましたが、生活は苦しくなるばかりでした。日本では、政府が日系ブラジル人の出稼ぎを求めていたため、単身日本へ行くことにしたんです。私のルーツである国を、この目で見てみたいという思いもありました」

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「両親からは生長の家という、最も尊い財産を受け継いだと思っています」と、笑顔を見せる坂本さん。春には、見事な桜並木となる櫛形総合公園で(写真/野澤 廣)

 しかし、紹介された工場での肉体労働は厳しく、何よりブラジルに残してきた妻と子が気がかりで、心がすり減り、半年でブラジルに帰国した。

「ストレスで20キロあまり痩せてしまい、久しぶりに会った妻に驚かれました。帰っても生活は苦しいままで、また日本に行くしかないと妻に話すと、妻は営んでいた歯科医院を閉め、一緒に日本に行くと決心してくれたんです。今度は家族が一緒だから絶対に大丈夫だと、希望をもって再び日本の地を踏みました」

 山梨県にある電機会社で3年間懸命に働き、努力が認められて、その会社の下請けとして独立した。

 順調に進んでいるように見えたが、親会社の工場で、同じ下請けの会社と並行して仕事をするようになると、いかに成果を挙げるかの競争になり、怒鳴り合うこともしばしばという状態になった。利益を上げることで頭が一杯になり、他のことが手につかず、こんなはずではなかったと悩む日々が続いた。

自宅前で妻の千恵子さんと

自宅前で妻の千恵子さんと(写真/野澤 廣)

ポルトガル語の誌友会を開く

 
 そんなとき、幼い頃に両親から伝えられた生長の家のことを思い出し、生長の家ブラジル伝道本部の職員をしていた父親に電話をかけた。

 すると「神様に守られているから心配はいらない」と温かく励まされ、『聖経 真理の吟唱』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊) を読むことと、神想観*1の実修を勧められた。
*1 生長の家独得の座禅的瞑想法

「心で想うことは、善いことでも悪いことでも実現するという心の法則を知って、相手の姿は私の心の反映だから、相手を変えようとするのではなく、まず自分が変わるしかないと思ったんです。競争に明け暮れて本来の私を見失い、笑顔もなくなっていたので、まずは笑うことを意識し、昔のように同僚とジョークを交わすように心がけました」

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 すると職場の雰囲気が変わり、ライバル会社ともとげとげしい空気はなくなって、何でも話し合いで解決できるようになっていった。

 そんなある休日、父親が話していた生長の家富士河口湖練成道場*2を訪れたとき、館内に流れていた聖歌を耳にして、思わず涙が溢れて止まらなくなった。
*2 山梨県南都留郡富士河口湖町にある生長の家の施設

「いつも聖歌を聴きながら内職をしていた母を思い出し、懐かしさと、やっと自分の居場所にたどり着いたという深い感動を味わい、これからは生長の家の伝道活動をしようと決意したんです」

 山梨県教化部*3を紹介され、教化部長*4と面談すると、夫婦でポルトガル語の誌友会*5を開くことを勧められた。
*3 生長の家の布教・伝道の拠点
*4 生長の家の各教区の責任者
*5 教えを学ぶつどい

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2人でよくドライブに出かけ、景色を眺めながらお茶を楽しんでいる(写真/野澤 廣)

「ブラジル人向けの食料品店などにチラシを置かせてもらうようにすると、参加者が少しずつ増えていき、人間は神の子で、本来素晴らしい存在なんだという教えを共に学び、語り合う時間は何よりも楽しいものでした」

 夫婦で生長の家の教えを伝えるだけでなく、言葉の壁や経済上の悩みを抱えている人や、家族をブラジルに残して来日した人など、様々な話に耳を傾け、アドバイスするなどして寄り添い続けた。

ブラジルの人の役に立ちたい

 
 坂本さんはサンパウロでの都会生活の経験が長かったため、山々を望む自然豊かな山梨県南アルプス市の環境に強く惹かれ、永住を考えるようになった。

 ブラジルに住む両親に相談したところ、父親から「一緒に先祖に挨拶に行こう」と言われたため、来日した両親とともに、家族揃って熊本県にある先祖の墓を訪れた。

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「ブラジルに渡った祖父は、もう日本に帰れないと分かったとき、墓だけは日本に置きたいと手配しておいたのだそうです。確かに祖父の名が刻まれた墓石があり、手を合わせたとき、私はずっとご先祖様に護られていたということを実感しました」

 それからは日本で暮らすブラジルの人々のためにもっと役立ちたいと、誌友会に日本人講師を招き、同時通訳を買って出た。すると他の教区からも声が掛かるようになり、群馬県や愛知県など県外にも出向くようになった。さらには講習会や青年会*6全国大会などでも通訳を任され、忙しいながらも充実した日々を送った。
*6 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織

「ジョークが好きな講師だと、どこが面白いのかを、ポルトガル語で説明するのがなかなか大変でしたが、名だたる講師の同時通訳を任されたことは私の誇りです」

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 子どもの頃、両親から日本語を習わされていたときは嫌で仕方なかったというが、振り返ってみれば、「両親から与えられたことのすべてが、今に生きている」と、坂本さんは話す。

「まさに『親の声は神の声』ですね。何より両親から受け継いだ尊い財産は、生長の家の教えです。悩みを抱えながら日本で暮らしているブラジルの方は、まだまだ多くいます。一人でも多くの方が『人間は神の子である』という真理に触れて幸せになってほしいと願っています」

 坂本さんは、平成22年に生長の家本部の職員となり、現在、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス” に勤務して、願いを実現するべく仕事に励んでいる。