長男が中学生になった頃、家庭内で反抗的な言動をするようになりました。それまでは温和で何も問題がないと安心していただけに、長男の変わりように驚きました。「反抗期だから」とも思いましたが、長男の姿を見て、私には思い当たることがありました。

 「ああ、この子の姿は私の姿だ。今も母に感謝できず、心に一定の距離をおいている冷たい自分の姿が、息子に現れているのだ」と直感的に感じたのです。しかし気づいたからといって、急に心を変えることはできませんでした。

 私が4歳の時に父が病死し、未亡人となった母は、朝から晩まで畑仕事をして3人の子どもを育てました。幼い弟2人は母と一緒に寝起きしましたが、私は同居していた曾祖母に預けられ、母の胸に飛び込めない垣根のようなものを感じながら成長しました。

 そんな私に転機が訪れたのは20歳の時でした。近所の方からわが家に生長の家の教えが伝えられたのです。私は『生命の實相』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻)などを貪(むさぼ)るように読みました。それまで劣等感の塊(かたまり)だったのが、「人間は無限の可能性をもつ神の子である」と知り、その喜びは言葉で言い表せないほどでした。

イラスト/せのおりか

イラスト/せのおりか

 25歳の時、見合い結婚をし、長男と長女を授かって仕事も順調でした。しかし、そのような中で私はいつしか「神に感謝しても父母(ちちはは)に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」という峻厳なる真理を忘れ去っていたのです。

 結婚後も仕事を続けた私は、子どもの世話を義母に頼っていました。仕事から帰ると、屈託のない長女は私に甘えてきましたが、長男は甘えることなく手のかからない子でした。おとなしい長男は、幼い頃の私と同じ思いを抱えていたのだと思います。中学生になって自我に目覚めた長男との関係を、修復したいと思いましたが、私の気持ちが長男の心に届くことはありませんでした。長男は大学卒業後、声優養成学校に数年間通いました。しかし、声優の夢を諦めて家に帰ってきました。

 当時は就職氷河期と言われ、就活をする長男に「不採用」の通知が次々と届き、長男本人よりも私の方が精神的に追い詰められました。こんな時こそ教えを学び直そうと、岡山県教化部*1の「吉備練成会*2」に参加しました。これが私の第二の転機となりました。
*1 生長の家の布教・伝道の拠点
*2 合宿形式で教えを学び、実践するつどい

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 練成会では「祈り合いの神想観*3」という行事があり、迷わず祈ってもらう側に座りました。その時、不思議な体験をしました。祈って下さる大勢の方々の愛念が、温かい力をもって私を包み込んでくれたのです。あまりの有難さに涙があふれました。この体験によって私の心はすっかり変わりました。「長男は必ず最も適した仕事に就くことができる」と、大安心の境地になれたのです。なんと、その1週間後に長男は採用通知を受け取りました。
*3 生長の家独得の座禅的瞑想法

 練成会の後、私は白鳩会*4支部長のお役を受けました。続いて、総連合会長、連合会副会長と数年ごとに大きなお役を頂き、前だけ向いて進みました。副会長を拝命して間もなくのことです。それまで決して消えることのなかった母への嫌悪感が、忽然と消えていることに気づいたのです。目を閉じて「お母さん」と呼べば、優しく笑う母の顔が浮かんできました。
*4 生長の家の女性の組織

 母は2年前に亡くなりましたが、生前に仲の良い母娘になれたことは、神様と観世音菩薩*5である長男のお陰だと感謝の気持ちでいっぱいです。
*5 周囲の人々や自然の姿となって現れて、私たちに教えを説かれる菩薩

三宅由美子(生長の家地方講師)
生長の家白鳩会岡山教区連合会長。長男と長女は独立し、5人の孫の成長と施設に入所中の義母の笑顔を楽しみにしている。趣味は周囲の自然を写真に撮ること。