伏木美津代(ふしき・みつよ)73歳
滋賀県長浜市

16歳のとき、父親が「余命は長くても1週間程度」という告知を受け、亡くなってしまった。
7年前、今度は夫が余命1カ月の告知を受け、降りかかるつらさに押しつぶされそうになった。

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「お父さんのがんが再発した。あと1週間の命や」

 16歳のある夜、受話器の向こうで、母の声が確かにそう告げていました。その瞬間、私は耳を疑い、頭の中が真っ白になりました。

「大好きだった父が、もうすぐいなくなってしまう……」

 現実を受け止められず、勤めていた繊維会社の寮の部屋で、来る日も来る日も泣いてばかりいました。父を失うかもしれないという怖れに、押しつぶされそうでした。

 私は、父が54歳、母が40歳のときに生まれた、3人きょうだいの末っ子でした。物心ついた頃から父は単身赴任で、年に数回しか会えませんでした。それでも父が大好きでした。年の離れた末っ子の私に、父はいつも優しく、私にとってかけがえのない存在だったのです。

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張り詰めていた心がほどけていく

 
 泣きはらす私を見かねた寮母さんが、「良いお話があるから、聴きに行ってごらん」と声をかけてくれました。その言葉に導かれるように足を運んだのが、生長の家の集まりでした。

 会場に入ると温かく迎えられ、誰もが優しく声をかけてくれました。その温もりに触れたとき、張り詰めていた心が少しずつほどけていくのを感じました。

 父は、母の言葉の通りに1週間で息を引き取りました。のちに母から聞いた話があります。私がお腹に宿った時、周囲からは「年齢のこともあるし、もう子どもは産まない方がいい」と言われたそうです。しかし父は、「神様から授かった命だから育てる」と言ってくれました。私にとって父は命の恩人でもあるのです。このことを思うたびに、今でも胸が熱くなり、言葉にならない感謝の思いがこみ上げてきます。

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 その後、私は生長の家の教えを学ぶようになりました。「人間は神の子で、無限の力を持つ存在である」という言葉に強く惹かれ、この言葉を信じて努力を重ねました。働きながら通信制の高校を卒業し、保育士の資格も取得できました。決して楽な道ではありませんでしたが、「無限力がある」という教えが、どんな時も私を支えてくれました。

 25歳で結婚し、3人の子どもにも恵まれ、子育てでは「叱るより褒める」という教えを大切にしました。できるだけ良いところを見つけ、言葉にして伝えることを心がけた結果、子どもたちは素直に育ってくれました。長女と長男は小学校で児童会長を務めるなど、それぞれの力を発揮しながら成長してくれたことは、今でもありがたく思っています。

明るく生きた母

 
 結婚後は、同居する昔気質の義父母との関係に悩んだこともありました。思うようにいかないことも多く、心が重くなることもありましたが、地元の誌友会*1に参加して教えの話を聴き、同じような悩みを持つ方々と語り合ううちに、少しずつ心が軽くなっていきました。話を聞いてもらえる場所があることが、どれほど心の支えになるかを実感し、相手を変えようとせず、自分の心を整えることの大切さを学びました。
*1 教えを学ぶつどい

 その後、実家の母が関節リウマチを患いました。20年間寝たきりで過ごしましたが、私は母に「明るく生きるんやで」と言い続けました。母は平成15年、91歳まで明るく生き抜き、その姿はどのような状況であっても、心の持ち方が人生を左右するということを教えてくれました。

夫の伝男さんと四国遍路の際に立ち寄った金刀比羅宮で(写真提供:伏木さん)

夫の伝男さんと四国遍路の際に立ち寄った金刀比羅宮で(写真提供:伏木さん)

突然の別れ

 
 7年前、私の人生で最も大きな試練が訪れました。

 元気だった70歳の夫が、血尿をきっかけに検査を受けたところ、余命1カ月と告げられたのです。進行性の胆嚢がんで、肝臓や肺に転移し、手の施しようがない状態でした。「今度は夫が……」と、かつて父を亡くしたときの、つらい記憶がよみがえってきました。

 夫は62歳で定年退職してから、毎週末、私と車で四国八十八カ所巡礼に出かけました。4年がかりで結願し、その後、地元の給食センターで運転手として働きました。それまで大した病気をしたこともなく、普通に仕事に行っていた夫が、突然余命1カ月の告知を受けるなど、信じられませんでした。

 生長の家で学んだとおり、日々の神想観*2のなかで夫の完全円満な実相*3の姿を拝み、聖経*4を懸命に誦げ、家族でお百度参りにも行きましたが、夫は日に日に弱っていきました。がんの告知は夫にはしていなかったので、私たち家族はベッドに横たわる夫のそばで、「あと何日の命」と身が引き裂かれる思いでした。
*2 生長の家独得の座禅的瞑想法
*3 神によって創られたままの完全円満なすがた
*4 生長の家のお経の総称

『生命の實相』を拝読する伏木さん。付箋の多さから熟読しているのが伝わってくる(写真/永谷正樹)

『生命の實相』を拝読する伏木さん。付箋の多さから熟読しているのが伝わってくる(写真/永谷正樹)

 やがて食事もとれなくなり、痛みを和らげるために強い鎮静剤が使われ、夫の意識は徐々に薄れていきました。そして本当に、1カ月で帰らぬ人となりました。

 あまりに突然であっけない別れに、私は現実を受け止めることができず、すべてが分からなくなりました。神様も、生長の家の教えも、何もかも信じられなくなりました。それまで『生命の實相』*5を熱心に読み、「人間は神の子で、病は本来無い」「死は存在せず、魂は永遠に生き通し」と学んってきたのに、ページを開いても、「病は無い」「死は無い」という言葉が心に入ってきませんでした。
*5 生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻

「こんなにも一所懸命に祈ったのに、なぜ?」という思いが、心を覆い尽くしました。

 その後、私は体調を崩し、目まいに苦しむようになりました。立っていられないほどつらく、心の乱れがそのまま体に現れたのだと思いました。それでも心のどこかで、暗いままでいてはいけない、もう一度立ち上がらなければならないという思いがあり、『生命の實相』を再び手に取りました。

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生かされている

 
 最初はページを開くだけでも苦しく、言葉を受け入れられない日が続きました。それでも読み続けるうちに、人間は神の子であることに改めて胸を打たれ、天地一切のものへの感謝の気持ちも湧いてきて、少しずつ心が落ち着いていきました。読めば読むほど心が静まり、やがて涙ではなく、穏やかな気持ちが戻ってきました。そして、天国の夫に「ありがとう」という言葉をかけていました。

 ある日、犬の散歩の途中で空を見上げたとき、何十億年も変わらず、この世のすべてを照らし続けていてくださる太陽に、自然と手を合わせていました。「すべてを生かしてくださっている神様」と思え、心の奥から感謝と喜びが湧き上がったのです。

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 夫の死を通して、私は「寿命」について考えるようになりました。人にはそれぞれ与えられた命の長さがあって、その中で生かされているのだと受け止められるようになり、心が軽くなっていきました。

 振り返れば、どんなにつらいときでも生長の家の教えに支えられ、導かれてきました。この教えがあったからこそ、私はここまで歩んでくることができたのだと、心から感謝しています。