体験手記|28日の天寿を全うした娘にいのちの尊さを教えられて
私が結婚したのは、中学校の常勤講師として働いていた平成26年、41歳のときでした。翌年、長男が生まれ、令和元年には教員採用試験に合格して正規の教員となりました。そして、その翌年、2人目の子どもである女の子を授かりました。待望の第2子でしたので、私も妻も幸せな気持ちで張り切って毎日を過ごしていました。
「連載|匿名体験手記」の記事一覧
No.169(4月号)
私が結婚したのは、中学校の常勤講師として働いていた平成26年、41歳のときでした。翌年、長男が生まれ、令和元年には教員採用試験に合格して正規の教員となりました。そして、その翌年、2人目の子どもである女の子を授かりました。待望の第2子でしたので、私も妻も幸せな気持ちで張り切って毎日を過ごしていました。
No.168(3月号)
私は機織業を営む家に、3男2女、5人きょうだいの4番目、三男として生まれました。兄や姉は戦後の混乱期に厳しく育てられたようですが、年の離れた私と弟は、兄や姉から可愛がられ、甘やかされて育ちました。病気らしい病気をしたことがなく、中学、高校ではバレーボール部に入り、持ち前の俊敏さで活躍するようになりました。高校のときはエースアタッカーとして期待されましたが、そのとき初めて挫折を味わいました。
No.162(9月号)
41歳になったときに職場で人事異動があり、新しい部署に移りました。ところが、そこで私よりひと回りも年下の女性、Aさんとの間に思わぬトラブルが発生したのです。
彼女は、もともと感情の起伏が激しいところがある人でしたが、仕事でミスしたことを注意したりすると、露骨に嫌な顔や口答えをされるようになりました。どう接していいのか分からず悩むうちに、だんだん怒りもこみ上げてくるようになって、家に帰ると妻に不満や愚痴をぶつけるようになってしまったのです。
No.158(5月号)
最初の頃は結婚生活も順調で、子どもにも恵まれました。ところが次第に夫婦仲がぎくしゃくするようになったのです。その原因の1つは、私の会社勤めが長続きしないことにありました。そしてもう1つの原因は、互いに信仰していた宗教が違うということでした。