夫婦の間がぎくしゃくして

 
 私は高校卒業後、自動車販売会社や不動産会社の勤務を経て、25歳の時に地元のタクシー会社に運転手として就職しました。その頃、友人の紹介で現在の妻と知り合い、4年間交際した後結婚しました。

 最初の頃は結婚生活も順調で、子どもにも恵まれました。ところが次第に夫婦仲がぎくしゃくするようになったのです。その原因の1つは、私の会社勤めが長続きしないことにありました。

 私は気性の激しい性格で、些細なことから上司や同僚と口論になり、会社に居づらくなって、別のタクシー会社に移るということを繰り返していました。そのため収入も増えず、妻は家計のやり繰りが大変になって、不満を募らせていたのです。

 そしてもう1つの原因は、互いに信仰していた宗教が違うということでした。妻は、母親の影響である新興宗教の教えに触れており、私も別の新興宗教の信徒だった両親の姿を見て育っていました。しかし、結婚前にそんな話をしたことは一度もなかったのです。

 結婚して数年後、妻の知り合いの女性が自宅を訪ねて来たことで、自分たちの信仰する宗教が違うことを初めて知りました。その女性は、妻が信仰していた宗教の信者で、その教えがいかに素晴らしいかを熱心に話し、妻からも私に入信するよう勧められましたが、到底そんな気にはなれませんでした。

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ストレスからパニック障害に

 
 その後も、その宗教のメンバーが度々訪ねてきて勧誘されたこともあり、仕方なく何度か会合に足を運びました。しかし、その教義が独善的なものに感じられて、入信するのを断りました。
 
 それ以後、妻から入信を勧められることはなくなったのですが、小さなことから激しい口論となることが増え、ある時、妻から「家から出ていって!」と罵(ののし)られたため、つい感情的になって手を上げてしまったのです。

 暴力をふるってしまったことに反省の思いが湧きましたが、素直に謝る気持ちにはなれませんでした。そんなことが度重なるようになって、仕事が終わった後も真っ直ぐ家に帰る気持ちになれず、時々ネットカフェで朝まで過ごして、そのまま出勤することさえありました。

 次第に心身に不調をきたすようになり、病院で診てもらうとパニック障害と診断されました。しかし仕事は休めず、ギリギリの精神状態で毎日を過ごしていたのです。

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『生命の實相』と出合って

 
 そんな状態が続いていた平成23年のある日、また妻と口論になって家を飛び出した私は、ふと書店に立ち寄って哲学書や宗教書のコーナーを眺めていました。その時、『生命の實相』(生長の家創始者・谷口雅春著、全40巻。日本教文社刊)というタイトルの本が何冊も並んでいるのが目に留まり、何気なく第1巻を手に取って開くと、その冒頭に「『七つの燈台の点燈者』の神示*1」という文章がありました。
 *1 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉

「汝(なんじ)ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である」という言葉で始まるその文章には、「天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である」といった教えが説かれていて、妻との不調和に苦しむ私の心に深く刺さりました。

 私はすぐ第1巻を買い求め、近くのファミリーレストランに入って読み始めました。すると「人間は完全円満な神の子である」「環境や運命は自分の心によってつくられる」といったことが説かれていて、1冊をほとんど読み終えてしまっていました。

 他の巻も読みたいと思い、タクシーの仕事中に生長の家の教化部*2を見かけていたことを思い出して、その教化部を訪ねてみました。すると、職員の方たちが丁寧に対応してくれ、それ以来毎月のように教化部に行き、生長の家の書籍を買い求めて教えを学ぶようになったのです。
 *2 生長の家の布教・伝道の拠点

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妻の気持ちを思いやれるように

 
 2年越しで『生命の實相』全40巻を読み終えた私は、この教えに間違いはないという確信を持つようになりました。そして、教化部で勧められたように、聖経*3を読誦して先祖供養に努めるようになりました。
 *3 生長の家のお経の総称

 とはいえ、当時は妻への遠慮があって、教化部で開かれる練成会*4や地元の誌友会*5に参加して教えを学ぶことはできなかったので、聖経を読むのは専(もっぱ)らタクシーの車内でした。しかし救われたい一心で読誦を続けていると、仕事や周囲の人たちに感謝の思いが生まれていきました。
 *4 合宿形式で生長の家の教えを学び、実践する集い
 *5 生長の家の教えを学ぶ小集会

 そんなある日、会社の上司から「ずいぶん柔和になりましたね」と思いがけないことを言われたのです。それを機に、上司や同僚との人間関係もスムーズになっていきました。聖経の功徳を感じ、より熱心に聖経読誦に励むようになりました。

 一方、肝心な妻との関係はなかなか修復できずにいました。また、パニック障害による動悸やめまいからも解放されたわけではありませんでした。しかし、聖経読誦を続けるうちに、妻があのような態度を取るのは、家庭を顧みず職場を転々とした自分に非があったからだと、妻を思いやる気持ちが生まれ、妻から激しい言葉を浴びせられても、穏やかに受け止められるようになったのです。

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妻からの感謝の言葉

 
 生長の家の教えに触れて10年以上が過ぎた令和4年7月、人生が一変する出来事が起きました。2年前からインターネットで行われる生長の家のネットフォーラム*6に参加して信徒の皆さんと教えを学んできたのですが、この日、初めて早朝神想観*7にオンラインで参加しました。
 *6 オンラインでの勉強会
 *7 生長の家独得の座禅的瞑想法

 神想観が始まって間もなく、突然、わけもなく涙が溢れ、号泣してしまいました。涙の中からポッカリ浮かんできたのは、妻と子どもたちの笑顔でした。神想観を終えると心が浄められて、とても晴れやかな気持ちになりました。

 不思議なことにそれ以来、長年苦しんできたパニック障害による動悸やめまいが嘘のように消え、体調が回復したのです。そのため夜間勤務が可能になり、月給がそれまでの3倍に増えたのでした。神想観の素晴らしさを実感した体験でした。

 次第に念願していた妻との調和の道も見えてきました。妻が私によく笑顔で「ありがとう」という言葉をかけてくれるようになったのです。収入が増えたこともあると思いますが、妻の美点に感謝し、それを言葉で伝えてきたことが実を結んだのだと思います。

 現在もお互いに信仰する宗教は違います。しかし、それはそのまま受け入れ、神様に全てお任せしようと思っています。2人の息子は社会人として元気に働き、小学生の娘は、私の趣味である登山によく付き合ってくれます。結婚して26年、今が一番幸せな日々です。

 これからも神想観に励み、私の体験を交えて、「乗り越えられない問題はない」という教えを多くの人に伝えていきたいと思っています。