神の創造り給える実相世界*1には、
永遠の平和と調和と智慧と
完全な秩序と美と裕かなる生活とが
充ち満ちているのである。
その実相世界は
遙かなる“天上”や“雲の彼方”にあるのではなく、
今、現に、ここにあるのである。
今ここに現にあれども、
われわれの心がそれを感受しない限りは、
受像セットが備わっていないテレビの放送番組みたいに
それが姿をあらわさないだけのことである。
(谷口雅春著『如意自在の生活365章』162~163ページ、日本教文社刊)
*1 神が創られたままの完全円満な世界

法華経の信解品(しんげほん)には、「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩え」という話があります。幼い頃に家出をした男の子が、艱難辛苦(かんなんしんく)の末、50歳くらいになって故郷に帰ってきました。その男が、ある立派な屋敷の中を覗くと、そこには多くの家来を従えた主がいました。男は怪しい者と間違えられて捕まったらいけないと、すぐに逃げ出しました。しかし、家の主は一目見て息子であると分かり、家来に命じて財産を譲るために連れ戻させたという話です。
生長の家では、善一元の完全な存在を神と呼び、人間を含めた生物や鉱物など、神によって創られたすべてが実在する完全円満な世界を「実相世界」と呼びます。
この喩え話では、大金持ちの父親が「神」、放蕩息子が「人間」に当たります。心を入れ替えた放蕩息子が父親から財産を譲り受けるように、神の子である私たちも、神の持ち給える一切の御徳を継承しているのです。
さらに、実相世界において人間は「神の子、完全円満」であり、実相世界の一切の物とも本来調和しているため、万事好都合に運ぶという信頼が生まれます。
今ここが天国浄土
生長の家では、完全円満な実相世界に対して、日常的に私たちの目の前に現れている変化無常の世界を「現象世界」と呼びます。それは目、耳、鼻、舌、皮膚の五官で捉える世界であり、私たちの心がつくり出している「心の影」であると説いています。

「今ここに幸せがある」とは、現象の奥に、すでに完全円満な実相世界があり、無限の智慧と愛と生命と歓喜と調和が充満しているということです。たとえ現象世界にどのような困難が現れようとも、それは仮の姿であり、私たちは神の御徳の継承者として、常に善に満ちた天国浄土にいるのです。
今ここが神の国であり、天国浄土であり、完全円満であるという信仰を深めることが、幸せを実現する第一歩となります。
室井誠司(むろい・せいじ)・生長の家本部講師





