父親が1億円の負債を抱えて

 
 わが家に異変が起きているのではないかと気づき始めたのは、平成5年のことでした。お盆を前にして母とお墓の掃除に行くと、わが家の畑の一画にあった先祖代々の墓がありませんでした。あまりにも突然のことで、何がなんだか訳が分からず、母も私も呆然とその場に立ち尽くすだけでした。

 父に聞いても、「お前には関係ない」の一点張りで何も話してくれませんでした。その数日後、銀行などから借金返済の督促状が届いたり、債権者が連日家に押しかけるようになりました。後で分かったのですが、父が連帯保証人になった知人に夜逃げされて約1億円の負債を抱えてしまい、その借金の抵当に畑を売り渡していたのです。

 しかし、肝心の父は自営していた学習塾の建物に引きこもり、家に戻ってきませんでした。私には会社勤めがあり、債権者への応対は母だけになったため、何とかしなければと銀行に出向き、事情を確かめることにしました。

 するとそこで見せられたのが、私名義の借金の借用書でした。身に覚えがないので驚いてよく見ると、私の名前と住所が手書きで記され、私の実印が押されていたものの、筆跡が明らかに私のものではないのです。これは父が勝手にやったことに違いないと思い、父を問い詰めましたが、埒があきませんでした。

 そうこうするうちに、私の勤務先である大手の電機メーカーに裁判所から通知が届き、強制的に給与を差し押さえられてしまいました。上司に事情を話すと、通常なら解雇の対象になるが、あくまでも父親がやったことだから不問に付すと理解してくれただけでなく、「父親を訴えれば借金は全て帳消しになる」と弁護士まで紹介してくれました。しかし、生長の家を信仰していた私は、それだけはできませんでした。

 わが家は、曽祖父の代からの生長の家一家で、私は小学生の頃から青少年練成会*1に参加し、親に感謝することの大切さを学んで育ちました。当時、教区の青年会*2委員長を務めていた私は、「大調和の神示*3」にある「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」という教えが心に刻まれていて、父を訴えることなど到底できなかったのです。
 *1=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践する集い
 *2=12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
 *3=昭和6年、生長の家の創始者・谷口雅春先生に下された言葉

『いのちの環』匿名体験手記_155_写真1

父を殺して自分も死ぬしかない

 
 しかしその一方で、生長の家を信仰しているのに、なぜこんなことに巻き込まれるのかという疑問が湧いて苦しみました。

 もともと父は、明るく人の良い性格でした。そんな性格につけ込まれて連帯保証人になり、騙されて借金を背負ったのだから、じっくり話せばきっと解決の道を見いだせるに違いないと思い、妹と連れ立って父が閉じこもる学習塾を訪ねましたが、いつも怒鳴り合いになって決裂してしまいました。

 会社から帰って、借金取りへの対応で疲れ切った母の姿を見ると、父への怒りが込み上げました。さらに怒りが倍増したのは、父が私だけでなく母の実家や2人の妹の嫁ぎ先、遠い親戚や知人からも借金していたことです。

 どうにもこうにも収拾がつかない状態になり、こうなったら父を殺して、自分も死ぬしかないと思い詰めるようになりました。ある日、もう一度話し合って父に反省の色が見られなかったら実行するしかないと、妹と一緒に父を訪ねました。

 しかし、父は煮え切らない態度をとるばかりで、私はテーブルの上にあった大きな灰皿で父を殴ろうと思いました。ところがその日に限って、妹が連れてきていた幼い姪が、私の横に座り込んできて邪魔をしたため、灰皿を手に取れず、幸いにも未遂に終わりました。

 さすがに反省して、その後、父を殺そうという思いはなくなったものの、自殺願望は消えませんでした。青年会委員長を辞め、会社に退職願いを書き、遺書をしたためようとしていた矢先、今度は交通事故に遭ってしまいました。原付バイクに二人乗りしていた16歳の少年が、信号無視で交差点に進入して私の車に接触し、一人が亡くなったのです。

 相手に非があるとはいえ、若い命が失われたことで、良心の呵責に苛まれました。供養したい一心で、少年の両親に頼み込んで葬儀に参列し、四十九日までの間、毎日のように少年の家を訪ね、仏前で聖経『甘露の法雨』*4を読誦するうちに、自殺願望はなくなっていました。
 *4=生長の家のお経のひとつ。現在、品切れ中

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神様に全托して生きよう

 
 自殺の機会を失い、会社も辞められないまま仕事を続けていた時、ふと思い立ったのは、今こそ真剣に生長の家の教えに振り向くべきではないかということでした。この何年間は形だけの信仰になり、先祖が積んできた徳を使い切ってしまったように感じたのです。

 それで、『生命の實相』(生長の家創始者・谷口雅春著、全40巻。日本教文社刊)などの生長の家の書籍を夢中で読み始めると、その中に、神様に全托することで、数十億円の借金を返済することができたという体験が掲載されていて、私は「これだ!」と直感しました。

 まず、それまで滞納していた聖使命*5会費を払おうと思い、毎月、私はもとより父や母の分まで納めるようにしました。また、給与を差し押さえられることを懲罰のように思っていた考え方を改め、天の蔵に貯金していると思うように努めました。
 *5=生長の家の運動に賛同して献資をする会

 また、『生命の實相』を読み進めるうちに、本当に神様と繋がるには、聖使命会員となるだけでなく、「大調和の神示」にあるように父に感謝しなければならないと痛切に思うようになったのです。そんな時、ある地方講師*6から勧められて先祖供養を行うようになりました。
 *6=生長の家の教えを居住地で伝えるボランティアの講師

 亡くなった祖父母の名前を霊牌*7に書き、仏前に供えて聖経『甘露の法雨』の読誦を続けるうちに、「私は神様、ご先祖様、父と母からいのちをいただき、今ここにこうして生きている、なんてありがたいんだろう」ということが実感され、「神様、ご先祖様、お父さん、お母さん、ありがとうございます」と自然に感謝の思いが生まれたのです。そして気づくと、父が家族や親戚にまで借金せざるを得なかったのは、それだけ追い込まれていたからであり、やむを得ないことだったのかもしれないと、父の心情を思いやることができたのでした。
 *7=先祖及び物故した親族・縁族の俗名を浄書し、御霊を祀る短冊状の用紙

 これからは生まれ変わったつもりで、全てを神様にお任せして生きようと決意したことで心の迷いも消え、仕事にも前向きに取り組めるようになりました。すると、国内と中国の協力工場への出向が決まり、通常より多い給与をもらうことができるようになって約100万円も貯まりました。さらに、持っていた自社株が僅(わず)か半年ほどで大幅に値上がりするという幸運にも恵まれ、その一部を売却したお金と貯金を合わせ、畑と自宅を買い戻すことができたのです。

信仰に振り向かせてくれた父

 
 その後も、給与の差し押さえは続きましたが、必要なお金がどこかからともなく入ってきて生活に困ることはなく、約10年で借金を返済し終えました。家族や親戚の借金も引き受け、ありがたいことに、現在はほんの一部を残すだけで、ほとんどの返済が終わっています。

 父と母は、5年前に相次いで他界しました。その時は、母はもちろん、父についても、感謝の思いで見送ることができました。私を信仰に振り向かせてくれたのは他ならぬ父であり、父は私の観世音菩薩*8だったと分かったからです。
 *8=周囲の人々や自然の姿となって現れて、私たちに教えを説かれる菩薩

 平成19年には、同じ信仰を持つ女性と結婚し、6年前に会社を早期退職した私は、今は教化部*9の職員として喜びの毎日を送っています。
 *9=生長の家の布教・伝道の拠点