孤独で寂しい中高時代

 
 私は、曾祖父の代から生長の家の教えを信仰する家に生まれました。とはいえ、それは後になって知ったことで、小さいときは信仰とは無縁の日々を過ごしていました。

 小学5、6年生の頃、アトピー性皮膚炎の症状が出始め、土に触れたり、肉を食べたりすると、顔や腕が赤く腫れ上がるようになりました。中学生になっても症状は治まらず、友達にからかわれ、それが原因で高校に進学しても周囲の輪に溶け込めなくなって、言いようのない劣等感に苛まれていました。

 その鬱憤を父に向けるようになりました。父も社交下手なおとなしい性格で、自分が人の輪の中に入っていけないのは父のせいだと勝手に思い込んでいたのです。口に出して感情をぶつけることはありませんでしたが、父と一緒にいるのが苦痛で、父が帰宅するとすぐに2階の自分の部屋に逃げ込みました。

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 今思えば、そんな息子の姿を見て、父はさぞ寂しい思いをしていたことだろうと思います。

 部活動に打ち込んで何とか仲間に入ろうとしたものの、心の思いを打ち明けられる親友はできず、いつも孤独感を抱えながら過ごしていました。

 高校を卒業し、大学進学を間近に控えた頃、「このままではいけない」という思いが募り、母に相談すると練成会*1への参加を勧められました。これが私の人生の大きな転機となったのです。
*1 合宿して教えを学び、実践するつどい

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浄心行で父親に感謝して

 
 初めての経験ばかりで戸惑うことも多かった練成会でしたが、特に心に響いたのは浄心行*2でした。
*2 過去に抱いた悪感情や悪想念を紙に書き、生長の家のお経『甘露の法雨』の読誦の中でその紙を焼却し、心を浄める行

「お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます」と唱えながら、道場の畳を父母の背中と思って雑巾で拭いているとき、先導する研修生たちが涙を流しながら畳を拭く姿を見て、心の底から感動しました。そして自分も、父に感謝できるようになりたいと強く思ったのです。

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 すると、父との懐かしい思い出が次々と蘇ってきました。高校時代、父がトイレで倒れ、とても心配したことや、小学校時代、野球が下手だったにもかかわらず、私が入っていた少年野球チームのコーチを引き受けてくれたこと、父とキャッチボールをした時の嬉しさなどが、心に浮かんできたのです。

「父は本当に私のことを思ってくれていたんだ」としみじみ思い、あふれ出る涙とともに、これまで父に冷たい態度をとっていたことを反省しました。

 家に帰って心から両親に謝罪し、感謝の気持ちを伝えると、2人はとても喜んでくれました。その姿を見て、私は新たな人生を歩もうと決意したのです。

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会社を辞め、教化部の職員に

 
 大学に入学するとすぐに、生長の家青年会*3に入会して、伝道活動に参加するようになりました。「人間は完全円満な神の子である」という教えを信じる仲間との出会いが、私の心を前向きに変えてくれ、充実した大学生活を送ることができました。
*3 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織

 大学卒業後、近県の電気機械メーカーに就職しましたが、入社して驚いたのは、同期の同僚たちの電機への深い知識と情熱でした。漠然とした知識しか持たない私は圧倒され、仕事に身が入らなくなってしまいました。

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 4年経っても状況が変わらず悩んでいた時に、地元の教化部*4から「職員にならないか」と声をかけられました。父は「信徒としての活動と教化部職員としての仕事は違うから、よく考えなさい」とアドバイスしてくれましたが、私はよく考えもせず喜び勇んで転職を決意しました。
*4 生長の家の布教・伝道の拠点

 ところが、教化部で働き始めてから、父の言葉をもっと真摯に受け止めるべきだったと、後悔することになりました。教化部職員の仕事は、綿密な方針を立てた上で、信徒の皆さんを適切に指導する力が求められるのですが、内向的な性格の私は、こうしたことに苦手意識を持っていて、戸惑うことばかりでした。

 その頃、青年会の仲間だった女性と結婚し、子どもも生まれていましたが、三正行*5を実践しても状況は改善せず、むしろ対人恐怖症のようになり、仕事にも行き詰まってしまいました。
*5 生長の家の大切な行とされている神想観、聖経、讃歌読誦・聖典等の拝読、愛行

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「このままでは迷惑をかけてしまう」という焦りから、夏休みをとって、高校を卒業後に行ったのとは別の道場*6の練成会に参加しました。そのとき、職員募集をしていることを知り、環境を変えれば状況が変わるかもしれないと、再び父に相談しました。
*6 生長の家本部直轄練成道場

 父は人から教化部での私の様子を伝え聞いて心配していたらしく、「新しい場所で、本当の自分を見せられるよう努力しなさい」と励ましてくれました。さらに、教化部の人たちにも話を通し、転職しやすい環境を整えてくれたおかげで、無事に道場の職員になることができたのです。

救いを求める人の力になりたい

 
 道場の職員として練成会参加者の世話をし、教えの研鑽に励む中で、あることに気づきました。高校卒業後に参加した練成会で父に感謝し、問題が解決したと思っていたのに、実はまだ、おとなしく頼りなげな父を心の奥底で見下している自分がいたのです。

 教化部へ転職する時も道場に異動時も、親身にアドバイスしてくれた父に対して、そんなふうに思っていたことを深く反省しました。そして、毎日の神想観*7と聖経*8読誦を通して、私がここまで来られたのは父のおかげだと、改めて父に感謝の思いを捧げました。
*7 生長の家独得の座禅的瞑想法
*8 生長の家のお経の総称

 特に感動したのは、献労*9のときでした。練成会の参加者や職員とともに、無心になって泥まみれで畑を耕し、道を直す作業に没頭する中で、長年悩まされていたアトピー性皮膚炎がなんの問題もないほどに改善したのです。さらに内向的な性格も影を潜めてしまいました。
*9 感謝の気持ちで行う労働奉仕

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 苦手にしていた人前での仕事も増えましたが、練成会を終えて晴れ晴れとした表情で帰って行く参加者の姿を見るうちに、苦手意識は消え、やりがいを感じられるようになりました。そして今は、家に帰れば妻と子どもたちがいつも元気で迎えてくれるという幸せな日々を送っています。

 今年4月に母が亡くなり、父は80歳を過ぎて介護施設に入所しました。これからは、母の供養に努めるとともに、できるだけ父の元を訪れ、感謝の気持ちを伝えていきたいと考えています。

 私のように父との関係に悩み、救いを求めて練成道場に来る人たちに、自分の体験を語り、力になってあげること、それが、いまの私に与えられた使命だと思っています。

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