『白鳩』を通して教えに触れた母
私は生後半年で肺炎を患い、それ以来体が弱くなりました。小学生になってからもよく風邪を引き、そのたびに1週間くらい学校を休んでいたので、授業についていけず辛い思いをしたことを覚えています。
中学生の頃、郵便受けに入っていた『白鳩』*1誌を通じて母が生長の家の教えに触れました。当時、住宅ローンや私の医療費の支払いで家計が苦しく、母自身も下血が続くなど、いろいろと行き詰まっていたときでした。
*1 本誌の姉妹誌
救いを求めて教化部*2を訪れた母は、『生命の實相』*3を勧められて購入しました。帰り道に、その本から黄金の光が放たれ、胸に染み込むという不思議な体験をした母は、「これで何も心配はいらない」という深い安心感に包まれたといいます。
*2 生長の家の布教・伝道の拠点
*3 生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻
帰宅して本を開くと、「環境から逃げ出そうと思うな」という言葉が目に飛び込んできて、行き詰まっていた原因は、常に暗い表情で不平不満を口にしていた自分の心にあったと気づいたそうです。そして、「これからは何事が起こっても感謝の心で受け止めよう」と心を改めると、下血は止まり、私の体調も改善されていきました。
それから母は熱心に信仰を深めていきましたが、当時の私には宗教に抵抗感があり、ただ傍観していました。
母と2人で同僚の回復を祈る
大学卒業後、会社員として働いていた30代のある日、同僚がバイク事故で脳挫傷を負い、意識不明の状態に陥りました。人づてにその話を聞いてショックを受けた私に、母は「一緒に聖経『續々甘露の法雨』*4を誦げて回復を祈ろう」と言ってくれました。
*4 生長の家のお経のひとつ。現在、品切れ中
宗教への抵抗感はありましたが、この時ばかりはそれを忘れ、毎晩、同僚の入院先の病院に向かって母と共に祈りを捧げました。聖経*5を読むうちに、「人間は神の子であり、本来完全円満な存在である」ことや、「病気は迷った心の影として仮に現れているだけで、本来存在しない」という教えが心に深く染み通っていって、「善なる神は不幸をつくらないから大丈夫」という確信が深まっていきました。
*5 生長の家のお経の総称
2カ月後、同僚は後遺症もなく完治し、何事もなかったように職場に戻ってきました。後日、彼は入院中に臨死体験をし、川を渡ろうとした際に誰かに呼び止められ、それで意識が戻ったと語りました。
この出来事に、母と私の祈りが届いたのだと感動しましたが、それでも宗教への抵抗感は拭うことができず、その時はそのままになってしまったのです。
練成会で脳血栓が癒されて
それから10年ほどが過ぎた42歳のときのこと、車を運転中に突然めまいに襲われました。慌てて路肩に停車し、少し落ち着いたところで病院に向かいましたが、視界は歪んだままでした。検査の結果、軽度の脳血栓と診断されました。
幸い手術は不要でしたが、医師から「今の段階では、回復するかしないのか、確かなことは言えない」と告げられ、毎日28錠もの薬を服用する生活が始まりました。しかし、症状は改善せず、気持ちは重く沈んでいきました。ついには「いっそ死んでしまいたい」とまで思いつめるようになりました。
そんな私を見かねた母から、医師で生長の家の講師でもあった徳久克己先生(故人)の『よろこびの発見』*6という本を読むよう勧められました。宗教への抵抗感はまだ根強く残っていましたが、もうこうなったら信仰に頼るしかないと思い、素直に母の言うことを受け入れることにしました。
*6 日本教文社刊。現在、品切れ中
読み進めるうちに、かつて同僚の回復を祈って『續々甘露の法雨』を読誦したときに感動した教えを思い出しました。
「病気は迷った心の影として仮に現れているだけで、本来存在しない」という言葉が心に響き、病気を癒やす唯一の方法は「人間は本来完全円満な神の子である」という自覚を深めることだと気づいたのです。
私は生長の家の教えをより深く学びたいと思い、生長の家総本山*7の練成会*8に参加しました。そこで、神は絶対の愛であり、その神と波長を合わせるには感謝の心が大切だと学びました。母の導きに耳を傾けず、感謝の心も忘れていたことに気づき、深く反省しました。
*7 長崎県西海市にある生長の家の施設。龍宮住吉本宮や練成道場などがある
*8 合宿して教えを学び、実践するつどい
この気づきによって生まれ変わったような心境になり、薬をやめる決意をしました。すると、病気への不安や体の不快感が消えていき、体調は見違えるように改善されていったのでした。
練成会でさらに感動したのは、「私たち一人ひとりは菩薩であり、他を利するために真理を探求し、その真理によって多くの人々の魂の向上に貢献する存在である」という教えでした。これを機に、「これからはすべての人と物、事に感謝し、人のお役に立つ生き方をしよう」と決意しました。
相手ではなく自分の心を変える
練成会に参加して心機一転、生長の家の教えを支えに生きるようになりましたが、妻が生長の家の話を頑なに聞こうとしないことが心に引っかかっていました。
そんな時に参加した練成会で、ある女性が「世界一素晴らしい夫を連れてきました」とご主人を紹介するのを耳にし、胸を打たれました。「私の妻もこの宇宙に一人しかいない、宇宙一の妻なのだ。感謝が足りなかった」と気づいたのです。
それから、日々の神想観*9の中で、「私の妻は宇宙一すばらしい妻です。ありがとうございます」と唱えるよう努めると、妻は徐々に生長の家の話に耳を傾けるようになり、ついには、生長の家の行事の時に協力をしてくれるまでになりました。「相手を変えるのではない。自分の心を変えればいい」という教えを実感した体験でした。
*9 生長の家独得の座禅的瞑想法
人のお役に立つ生き方をしたい
私が大切にしている教えの一つに、「感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救を受けるであろう」という「大調和の神示」*10の一節があります。この教えを心に刻み、自分の体や、両親、親戚、ご先祖様に感謝の言葉を唱え、心を感謝で満たしてから神想観を実修しています。
*10 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉
現在は、教区の信徒の皆さんと協力し、300人以上の方々を祝福する祈りを捧げています。その中に、重い肺炎で入院した男性がいましたが、皆で祈った翌日、元気に回復して退院の許可が出るという朗報が届き、再び、母と共に同僚の回復を祈った時の感動を味わうことができました。
私は神想観の間、合掌していた手を“神様の手”と呼び、心に引っかかることがある時は、その手で生長の家の書籍を開いて導きを得る、ということをよくしています。実は今回、自分の体験の掲載にあたっても、神想観の中で神様に尋ねました。
すると谷口清超先生*11の『伸びゆく日々の言葉』*12が心に浮かび、“神様の手”で開くと、「『神の御心』がどうしてわかるかというと、神にきくと判る。神は、すでにあなたの中に宿る『真実のあなた』であるから、きくことは難しくない。ただ毎日『きく練習』をして行くならば、間違いなくきける。その練習が『神想観』の実行である」(151ページ)とありました。
*11 前生長の家総裁、平成20年昇天
*12 日本教文社刊
まさに私がいま、最も大切にしていることで、常に内なる神に呼びかけ、神の導きを得ながら行動することが、間違いのない生活を送る秘訣だと信じています。
これからも、「私は神の善をこの世に表すお手伝いをさせていただいているだけである」という謙虚な気持ちを忘れることなく、生長の家の教えを伝え、愛深く導いてくれた母に感謝しながら、人のお役に立つ生き方をしていきたいと思います。