矢野凱久(やの・よしひさ)さん│83歳│大分市
取材/永谷正樹

妻とともに先祖供養に励む

 
 大分市郊外にある矢野凱久さんの自宅を訪ねるため、その付近を探していると、外壁の掲示板に生長の家の日めくり暦『ひかりの言葉』*1が掲げられているのが目に留まり、ここが矢野さんの家だと分かった。
*1 生長の家総裁・谷口雅宣監修、生長の家刊

 にっこりと微笑んで出迎えてくれた矢野さんは、
「多くの人に生長の家の教えを伝えたいという思いで、5年前に掲示板を設置しました。立ち止まって、真剣な眼差しで言葉を読んでいる方もよく見かけるので、掲げてよかったなと嬉しく思っています」と語る。

 小学生の頃、母親に連れられて参加した誌友会*2で、「人間は神の子である」という生長の家の教えに感動して以来、長年にわたり信仰に励んできた矢野さんは、先祖供養も熱心に行ってきた。
*2 教えを学ぶつどい

「毎日、聖経『甘露の法雨』を読誦しているうちに、自然にご先祖様を敬う気持ちが芽生えてきました」(写真/永谷正樹)

「毎日、聖経『甘露の法雨』を読誦しているうちに、自然にご先祖様を敬う気持ちが芽生えてきました」(写真/永谷正樹)

 現在は、妻の昭子さんとともに、矢野家と昭子さんの実家のご先祖、合わせて約50柱の名前を読み上げて、生長の家の教えが自由詩の形で説かれている、聖経『甘露の法雨』*3を読誦しながら供養して、感謝の思いを捧げるのを日課としている。
*3 生長の家のお経のひとつ。現在、品切れ中

「『どうぞ、この真理の言葉をお聴きいただき、ますます高き霊界に進まれて、私たち親族縁族、家族一同をお護り、お導きくださいますようお願い申し上げます』と唱えてから聖経*4を読んでいます。先祖供養を続けているうちに、いつもご先祖様に護られていると肌身で感じられるようになりました」
*4 生長の家のお経の総称

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胃潰瘍で吐血して入院することに

 
 矢野さんが先祖供養に目覚めたのは、30代後半の頃、胃潰瘍を患っていたときだった。胃潰瘍が原因で父親が亡くなっていたこともあり、「今こそいのちの源であるご先祖様に感謝しよう」と思い立ち、先祖供養を始めたという。ところがなかなかよくならず、42歳になったときに職場で吐血し、救急車で病院に運ばれた。

「労働組合の運動が激しかった頃で、私は管理職として労使間の紛争に巻き込まれ、そのストレスから胃潰瘍が悪化したように思います。しかし、先祖供養をしていたおかげか入院することもなく、自宅で10日ほど療養しただけで回復することができました」

仏間の壁に掲げた生長の家の『ひかりの言葉』には、その日が命日の家族や親戚、知人の名前がびっしりと書かれていて、その名前を読み上げ、聖経を読誦して供養に努めている(写真/永谷正樹)

仏間の壁に掲げた生長の家の『ひかりの言葉』には、その日が命日の家族や親戚、知人の名前がびっしりと書かれていて、その名前を読み上げ、聖経を読誦して供養に努めている(写真/永谷正樹)

 一向に収まらない労使間の対立に心を痛め、出勤前に、天地一切のものと和解することの大切さを説いた「大調和の神示」*5を読誦し、「和解の神想観」*6を行って、会社と組合の関係改善を祈った。
*5 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉
*6 生長の家独得の座禅的瞑想法

 しかし、労使間の対立も胃潰瘍もなかなか改善せず、48歳のときに再び吐血し、この時ばかりは入院を余儀なくされた。

「以前よりも症状は重く、医師から手術するよう勧められました。不安で眠れない日々が続き、土居巍(どい・たかし)・生長の家大分教区教化部長*7(当時)に相談すると、『症状に一喜一憂せず、神様に全てをお任せしなさい。そうすれば病気は必ず治るから』と励まされて心が落ち着き、入院して治療を受けようと決意したんです」
*7 生長の家の各教区の責任者

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病室で先祖供養を実践

 
 入院するにあたり、矢野さんは練成会*8のようにして過ごそうと考えた。毎朝起床後にベッドの上で神想観を実修し、ご先祖様を供養するために聖経『甘露の法雨』を読誦した後、「ありがとうございます、ありがとうございます」と感謝の言葉を唱えながら自分のベッドや病室はもちろん、トイレや廊下など共用スペースの掃除もした。
*8 合宿して教えを学び、実践するつどい

「同じ病室の人や看護師からは、私が狂ってしまったのではないかという好奇な目で見られましたが、そんなことには一切かまわず、ただただ必死になって実践しました」

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 入院して6日が経ち、手術前に胃カメラで検査することになった。すると医師は、モニターに映った胃の状態を凝視したまま黙り込んだ。

「長い沈黙の後、医師が驚いた顔をして、『胃に開いた穴が塞がって肉が盛り上がり、胃潰瘍が治っている』と言ったんです。それで手術をする必要もなくなって、その翌日に退院することができました。これはご先祖様のお導きに違いないと思い、先祖供養のときに、改めてご先祖様に感謝の思いを伝えました」

妻の昭子さんと聖経読誦に励む(写真/永谷正樹)

妻の昭子さんと聖経読誦に励む(写真/永谷正樹)

ご先祖様の護りを感じて

 
 それを機に、一層熱心に先祖供養に励むようになった平成29年1月、これも先祖の導きとしか思えないような出来事に遭遇したという。

 その日、趣味である詩吟のグループの新年会に出席し、会が終わって帰宅しようと駅へ向かって歩いていた矢野さんは、駅前の横断歩道にさしかかった。腕時計を見ると、乗る予定の電車の発車時刻が迫っていることに気づき、あわてて横断歩道を斜めに渡ろうとしたそのとき、そこに自動車が突っ込んできたのだ。

 事故現場には人だかりができ、その場に居合わせた誰もが、車の下敷きになり、ぴくりとも動かない矢野さんの様子を見て、死亡したと思った。

生長の家の話をすることが多いという矢野さん夫妻。昭子さんの肩にとまっているのは、オカメインコの「チャッキー」(写真/永谷正樹)

生長の家の話をすることが多いという矢野さん夫妻。昭子さんの肩にとまっているのは、オカメインコの「チャッキー」(写真/永谷正樹)

「後で人から聞いた話では、私は気を失っていたんですね。道路には、持っていたバッグの中から聖経などの中身が散乱していたそうです」

 人を轢いてしまったことに気が動転した運転手は、エンジンを切ることを忘れていた。ところが幸いにも、体が自動車の下部にあるオイルタンクとマフラーの隙間にすっぽりと入り込んでいた矢野さんは、マフラーの熱で意識を取り戻し、「助けて!」と大声で叫んだという。

 すぐに駆けつけた救急車で病院に緊急搬送されたが、命に別状はなく、足首の骨折とマフラーが当たった背中に火傷を負っただけで済み、九死に一生を得た。

自宅の庭の一角で野菜作りもしている(写真/永谷正樹)

自宅の庭の一角で野菜作りもしている(写真/永谷正樹)

「自動車とぶつかって倒れたときに、体が柔らかくなってスルっと隙間に入ったようです。このときほどご先祖様の護りを感じたことはありません。これからも先祖供養に励み、いのちの源である神様、ご先祖様、両親に感謝の思いを深めていきたいと思っています」

 そう話しながら、矢野さんは柔和な笑みを浮かべた。

 

本誌ではこの記事の他、
 ●手記①ブラジル篇 先祖供養を通して、夫の祖父の願いが叶う
 ●手記②アメリカ篇 ご先祖に護られ導かれて、今の私がある 
など、世界各国から寄せられた体験談をお読みになれます。
また、先祖供養の仕方も紹介しています。
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