結婚した翌年に妊娠し、経過は順調だったが、8カ月目に死産した。自らに原因があったのかもしれないと、長年自分を責め続けたが、生長の家の教えに触れ、赤ちゃんは自分を母親に選んで宿ってくれた高級霊と知って、罪の意識が洗い流された。

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「生長の家の教えはもちろんですが、夫の明るさや、義母の優しさに支えられてきました」と話す濱埜さん。夫の勉さんと近所の公園で(写真/遠藤昭彦)

濱埜順子(はまの・じゅんこ)さん│72歳│兵庫県西宮市
取材/原口真吾(本誌)

赤ちゃんの心臓が動いていない

 
 濱埜順子さんが、勉さんと結婚したのは23歳だった。2人の出会いはボーリング場で、たまたまレーンが隣同士だったのが縁となった。

「私は19歳のときに、実家のある宮崎県を離れ、兵庫県にある会社で働いていたんです。交際を始めて数カ月たったとき、父から実家に帰ってこいと言われて宮崎に帰ったんですが、彼から毎日のように手紙が届くようになりました。私を手元に置いておきたかった父は結婚に反対しましたが、彼は結婚の許しをもらうために2度も宮崎まで来てくれ、その熱意に父も折れて、結婚することができました」

 その翌年、妊娠したことが分かった。1カ月ごとの健診も順調で出産を心待ちにしていたが、8カ月目の健診のとき、医師から「心臓が動いていない」と告げられた。胎児が羊水の中で一方向に回って戻らず、へその緒が圧迫されて死産したのだ。

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日常の足には、二酸化炭素の排出が抑えられる電車を利用している。最寄りの阪神線洲先駅で(写真/遠藤昭彦)

「ちょっと前に、長い間車を運転したため、体に負担をかけてしまったせいかもしれないと自分を責め続けました。夫が遺骨をお墓に納め、毎日お参りしてくれましたが、私はそれどころではありませんでした」

 日蓮宗を信仰していた義母は、生まれることができなかった女の子の赤ちゃんに「妙華(みょうか)」と名前をつけ、法華経を誦げて供養するように勧めてくれた。せめてもの罪滅ぼしにと供養を続けるうちに、心が少しずつ癒されていった。

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「3年後に待望の長女が誕生しました。わが子をこの腕に抱いたときの喜びは、言葉に表すことができないほどでした。3年後には次女も生まれ、物心がついた2人に、『実はもう1人、お姉ちゃんがいたんだよ』と正直に話しました」

 それから家を出るときは、仏壇に安置した妙華さんの位牌に向かい、りんを鳴らして、「行ってきます」「ただいま」とあいさつをするのが家族の日課となった。

子どもは親の心の鏡

 
 長女が小学6年生、次女が3年生になった平成2年、脳梗塞で倒れた父親が亡くなり、65歳の母親が独り暮らしとなった。母親は生長の家の教えを信仰していたため、父親の死の悲しみからも立ち直ってくれるだろうと、濱埜さんは楽観的に考えていた。

「ところが、母はどんどん元気をなくしていき、電話で『父ちゃんが迎えに来ているみたい』と弱音を吐くようになったんです。そんな母を元気づけたくて、母が大好きな生長の家のことを話題にしようと、母親教室に参加してみることにしました」
* 母親のための生長の家の勉強会

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 母親を喜ばそうと参加した母親教室では、最初に参加者と『わが子よありがとう』という愛唱歌を歌った。その歌の中の「あなたが生まれてきたことが/ただ有りがたく嬉しくて」という歌詞を聴いていると、涙が溢れて止まらなくなった。

「1人目の子どもを死産して、あれほど望んでいたわが子だったのに、その頃は、2人の子どもを叱ってばかりいたことに気づきました。生きてくれているだけでありがたいのに、申し訳なかったという気持ちになったんです」

 さらに「子どもは母親の心を映す鏡である」という教えも心に深く響いた。当時、アトピー性皮膚炎で悩んでいた長女の姿は、子どもに厳しくあたっていた自分の心の現れだったのかもしれないと、胸が締め付けられる思いがした。

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「生まれてきてくれたこと、元気でいてくれること、学校に行ってくれること、その一つひとつに感謝の気持ちが湧いて、それからは、子どもたちに明るい言葉をかけるようにしたんです。すると、次第に子どもたちに笑顔が戻り、家庭の雰囲気が明るくなって、長女のアトピーも、いつの間にか消えてしまいました」

 母親教室で学んだことを母親に伝えると、「そうよ、生長の家はすごいのよ」と喜んだ。その後、母親はどんどん元気を取り戻し、97歳になった今も健康で毎日を過ごしているという。

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趣味のギターを手にした勉さんと和やかな会話が続く(写真/遠藤昭彦)

私を選んでくれてありがとう

 
 毎月母親教室に参加するようになった濱埜さんは、お盆の時期になると先祖供養について学ぶようになり、ある日、出講してきた講師に、死産した子どもがいることを打ち明けた。

 すると講師は、「人間のいのちは永遠生き通しであり、魂の成長のために何度も生まれ変わってさまざまな人生を経験する」という教えを交えながら、「そのお子さんは、あなたを母親に選び、そして次の境涯へと速やかに進んでいった高級霊なんですよ」と諭してくれた。

「私のせいで死産という結果を招いてしまったのではないかと、罪の意識がどうしても消えなかったので、その言葉を聞いて救われる思いがしました。死産した子どもに『私を選んでくれてありがとう』という感謝の思いが湧きました。あの子は自らの魂の修行のために、私に生長の家の教えを伝えるためにいのちを宿し、霊界に旅立っていったんだと思います」

 そう話しながら、濱埜さんは優しく微笑んだ。

本誌ではこの記事の他、前生長の家総裁・谷口清超先生の書籍から、今月号の特集「子どもは親を選んで生まれてくる」に関連した文章を紹介しています。
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