姫路市にある生長の家白鷺(しらさぎ)道場に勤める木村祐亮さんは、理学療法士をめざしていた20代の頃、人間関係で悩み、うつ病を発症して、夢を諦めざるを得なくなった。
そんなとき、生長の家の練成会に参加したことがきっかけで、「そのままの自分」を認められるようになり、挫折から立ち上がった。

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撮影●髙木あゆみ

木村祐亮(きむら・ゆうすけ)さん
兵庫県姫路市
38歳・団体職員
取材●長谷部匡彦(本誌)

プロ野球選手に憧れて野球部に

 
 兵庫県で生まれ育った木村祐亮さんは、小学生の頃からプロ野球選手に憧れ、高校では強豪として知られる野球部に所属して、毎日練習に励んでいた。

 だが、高2の時、体育の授業中に右膝靭帯断裂という大ケガを負い、その後は思うように練習ができなくなった。

 それでもレギュラー入りを諦めることができず、サポーターをつけて練習を続けていたが、高3の時に、野球部の監督から現役を退くように言われてしまった。

「野球選手の夢が断たれて、悔しい思いをしましたが、なんとか気持ちを切り替えて、夏の大会までサブコーチとしてチームをサポートしました。引退後に手術を受け、理学療法士の指導と励ましのお陰で、普通に運動できるまでに回復できたことは、本当にうれしかったです」

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「白鷺城」の愛称で親しまれている姫路城にて(撮影●髙木あゆみ)

人間関係でつまずきうつ病と診断されて

 
 その時、世話になった理学療法士の仕事ぶりに感動し、自分も同じ仕事に就きたいと思い、高校を卒業後、スポーツトレーナーの専門学校で2年間学んだ。その後、大阪で一人暮らしをしながら、日中は整形外科クリニックのデイケアサービスで働き、夜間は理学療法士の専門学校に通う日々を送った。

「でも、デイケアサービスの仕事で、利用者のことを考えて行動しようとしたことが逆に空回りしてしまい、相手に不信感を与えてしまったんです。さらに専門学校では、10代から40代までの幅広い年代の同級生と打ち解けることができず、疎外感を感じるようになっていきました。職場でも学校でも人間関係でつまずいて、『どこにも自分の居場所がない』と考えるようになってしまったんです」

 そんなストレスを抱え、気持ちが落ち込むようになって、22歳の時に心療内科を受診すると、うつ病と診断された。

 処方された抗うつ剤を服用したが、倦怠感に襲われるようになり、責任感から仕事は続けていたものの、学校には通えなくなった。1年後には仕事も学校も辞め、兵庫県の実家に戻ることになった。

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そのままで良かったんだ

 
 失意のなか実家に戻ると、両親が温かく迎えてくれ、久しぶりに心が休まるのを感じた。その2カ月後、母親に勧められて、生長の家宇治別格本山*1の練成会*2に参加した。講師との個人面談の際に、人間関係につまずいて仕事も学校も辞めたことや、自分の欠点を改善したいということなどを打ち明けた。

「何を言われるのかと少し身構えていたんですが、講師から優しい声で『そのままでいいんですよ』と、意外な答えが返ってきたんです。その言葉で肩の重荷が下りた感じがして、気持ちがすごく楽になりました」

 練成会では「人間は本来素晴らしい神の子である」と教えられた。さらに、人間関係で問題が起きる場合は、両親に対して抱いている感情に要因があると知り、両親への感謝が足りていなかったと気がついた。

 それを講師に話すと、神想観*3のなかで、両親や思い浮かんだ人々の顔を心で見つめながら、感謝の言葉を唱えることを勧められた。

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「心の中で『お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます』と唱えていると、幼い頃からキャッチボールをしてくれていた父や、応援してくれていた母の姿が瞼(まぶた)に浮かんできて、とても愛されていることを感じました。嫌な思いをさせられた相手が心に浮かんできた時は、すぐに感謝することができなかったんですが、現象的な相手の姿ではなく、神様が創られたままの素晴らしい神の子の姿を思い描き、相手に感謝の言葉を唱え続けるうちに、抱いていたわだかまりが解けていくのを感じました」

 練成会の途中、抗うつ剤が切れ、心身ともにフラフラした状態に陥ったが、翌朝、どうにか布団から起き上がって神想観を実修し、両親と心に浮かんだ人たちに感謝の言葉を唱えた。その後、朝食を食べ始めると、体にある変化が起った。

「温かいご飯と、お味噌汁を食べていたら体が温かくなって、倦怠感が抜けていくのを感じました。体に力が漲ってきて、もしかしたら大丈夫かもしれないと思えたんです。『生長の家の食事』という神示*4の一節にある、『すべての他の人の罪を恕(ゆる)すは、吾(われ)らの過(あやまち)をも亦(また)大生命なる神より恕(ゆる)されんがためである』と書かれている通り、感謝の言葉を通して、わだかまりを感じていた人と心の中で和解したことで、自分自身も許すことができたのかもしれません」

 練成会終了後は、抗うつ剤を飲むことをやめ、神想観の中で感謝の言葉を毎日唱え続けるうち、頭の中にあった靄(もや)が晴れていくのを感じた。

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誰かの役にたてることがうれしくて

 
 元気を取り戻した木村さんは、両親への感謝の意味もこめて、実家の旅館のフロント業務や客室清掃などを手伝い、翌年には調理師免許も取得した。旅館の仕事の傍ら、地元消防団の幹部をしていた父親に誘われて消防団員にもなった。

「台風の時などに、夜間の見回りや土嚢を積む作業をするほか、火災が起きた時は、ホースの先を持つ筒先の担当として消火活動にあたりました。旅館の仕事を任せてもらえたことや、消防団の活動などの地域貢献を通して自分の居場所を見出すことができ、自分を認められるようになったんです」

 現在、生長の家兵庫教区の青年会*5委員長として、仲間と一緒に、ネットを通して毎晩、神想観と笑いの練習*6を実修している。

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「白鷺道場で、ご年配の信徒さんのお手伝いができることが嬉しいですね」(撮影●髙木あゆみ)

「朝は、栄える会*7の皆さんと一緒にお祈りをしています。心が整って元気よく一日のスタートを切ることができるんですよ」

 生長の家の教えを学びつつ、人のお役に立ちたいと話す木村さんは、昨年(2022)3月に、生長の家白鷺道場の職員になった。

「人と比較したり、競争したりするのではなく、人それぞれの得意なことや不得意なことがあるなかで、その人の役割を果たし、周囲に貢献することが大切だと思っています。生活をしていれば嫌なことも起こりますよね。でも、その時に『人間は素晴らしい神の子である』という信念が軸にあれば、暗い感情に引っ張られることがなくなり、そのままの自分を認められるようになると思います」

*1 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
*2 合宿して教えを学び、実践するつどい
*3 生長の家独得の座禅的瞑想法
*4 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉
*5 12歳から39歳までの生長の家の青年の組織
*6 笑うことによって、心を明るくし、心身を健康にするために行う練習
*7 生長の家の産業人の集まり

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特集解説
不安を抱くことなく、明るい心で生きていくために

 
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山田真史(やまだ・まさし)
生長の家本部講師補
1982年滋賀県出身。IT関連商社の技術職として9年間勤め、2016年から生長の家国際本部職員。休日は自転車、畑や庭の手入れなどを楽しむ。

「生きることについて考える」というテーマは、とても難しいですね。「生きる」という、この世の誰もがしていることの意味を改めて問うと、答えが見出せなくて悩んでしまったり、何だか不安な気持ちになったりするかもしれません。でも、私からぜひお伝えしたいのは、「生きることに不安を抱くことなく、胸を張って正々堂々と生きていけば良い」ということです。

人はみな素晴らしい

 
 そのために、まず自分自身が本来絶対的な価値を持った存在であるということを、心から認めることが大切です。世界中を見渡しても、自分という存在は70億人を超える人間のうち、たった一人しかいませんから、「かけがえのない存在」だと言えます。

 また、自分自身の心の奥深くには、「素晴らしさ」が秘められており、それぞれの個性を通して表現することで、感動したり、心が喜びに満ち溢(あふ)れたりします。個性を表現する方法は様々で、たとえば誰かに親切な行為をしたり、社会に役立つ仕事をしたりすることもそのひとつです。

 生長の家では、この内部に秘められた「素晴らしさ」を「神性(しんせい)・仏性(ぶっしょう)」と言い、例外なく、それを誰もが心の内部に蔵(ぞう)していることから、「人間は神の子である」と説いています。

 人はこの「神性・仏性」を表現するために生きていると言っても過言ではありません。ですから、自分自身を含めたすべての人間は皆、本来素晴らしい存在なのです。

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善を表現する

 
 生長の家が説く「神」とは、唯一絶対の神であり、「善」そのものです。そして神の子である人間は、善を表現することで、心の底から喜びが湧き上がり、幸福でいられます。

 では、悪事を働いて自己満足感を得るような行動は喜びと言えるでしょうか。そのようなことを繰り返す人が増えると、秩序を維持できなくなり、皆が生きづらい世の中が形成されていきます。そしてやがて本人にそのツケが返ってくることでしょう。人は何を心に思い描き、行動するかによって人生が多様に変化していきます。生長の家ではそれを「心の法則」と言います。

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良いことに注目する生き方

 
 前述の「心の法則」に則(のっと)って考えると、困難に直面した際も、自分の心を整えることで周囲の環境が良い方向へ変化するものです。

 特集ルポの木村祐亮さんのように、人間関係でうまくいかないことがあれば、相手もまた自分と等しく「素晴らしい存在」であることを心から認める努力をしましょう。具体的に「こういうところが相手の素晴らしいところだ」という美点を探すのです。もし、自分のなかに相手に対するマイナスの感情があるなら、瞑想などをして心を落ち着けることも大切です。生長の家には、神想観という座禅的瞑想法があるので、それを実修してみてはいかがでしょうか。

 人間関係に限らず、世の中に起こる「良い」出来事に注目する生き方もまた、幸福につながります。それはどんな些細なことでも良いのです。一日の振り返りの中で、その日にあった良かったことや嬉しかったことなどを日記に書き記すこともおすすめです。

「今日も良い一日だった」と思える毎日を積み重ねていくことで、将来に対する漠然とした不安を抱くこともなくなるでしょう。この特集解説が、読者の皆さまにとって「生きること」のヒントになれば幸いです。