『いのちの環』No.162「美のステージ」写真1

愛用の機織り機で作業する牛山さん。至福のひと時で、気づくと夜中ということもある

牛山よしみさん│81歳│長野県原村
取材/佐柄全一 写真/堀 隆弘

 長野県原村に住む牛山よしみさんは、先祖伝来の「裂(さ)き織り」の名手として知られ、昨年(2022)春には「機(はた)織りを楽しむ会」を結成し、後進にも技術を伝えている。

「若い頃は、“ぼろ機織り”とも言われていた裂き織りは、年寄りのやるものだと思っていました。でも、いざ自分がやってみると、こんな面白いものはないと思えるようになって、今は皆さんにも教えるようになったんです」

 裂き織りとは、古布(こふ)を手で裂いて横糸として使い、丈夫な綿糸の縦糸に織り込んで敷物などを作る織り物。長野県では、古くから農閑期に農家の女性たちの仕事として行われていたが、既製品の織物が安価に手に入るようになり、裂き織りをする人は少なくなった。

『いのちの環』No.162「美のステージ」写真3

左/さまざな古布を手で裂いて丸めるのが最初の作業。これが横糸になる 右/昔ながらの木製の機織り機は今も健在。古布が鮮やかに生まれ変わる

「古布には天然染料の独特の美しさがあり、あの深い味わいは既製品にはないものです。最近はその良さが見直されて、いろんな用途に使われるようになり、おしゃれな洋服としても注目を集めているんですよ」

 隣町の茅野市で、農家の5女として生まれた牛山さんは、東京で3年ほど働いた後、ふるさとに帰って農協に就職。25歳で夫の勝運(かつゆき)さんと職場結婚をし、農家に嫁いだ。

「舅姑との同居、2男1女の子育てに加えて、家業の畑と養蚕の仕事もある上、家事一切もしなければならず、大変な苦労を味わいました」

『いのちの環』No.162「美のステージ」写真2

裂き織りの作業場兼教室の旧宅で。「ここにいるだけで心が落ち着きます」

 自宅で介護していた舅姑を、60歳のときに相次いで見送ったある日、「私は自由だ、何でもできる」と、目の前が開けた気分になった。その直後、実家の母親から勧められて始めたのが裂き織りだった。熟練の知人に基礎を習い、空き家だった築100年の牛山家の旧宅に機織機を据え、暇さえあれば裂き織りに励んだ。

「60歳の頃から10年ほど、近所の日帰り温泉で管理の仕事をするようになり、以前と変わらず畑仕事もしていたので、かえって忙しくなったんですが、生長の家の教えがあったおかげで、皆、楽しいことばかりになり、一向に苦になりませんでした」

『いのちの環』No.162「美のステージ」写真4

自ら手がけた服に身を包み、バッグを手に笑顔の牛山さん

 結婚後、病気がちになった長女が、生長の家の信徒である牛山さんの姉を通して教えを学び始め、その付き添いで誌友会*1や講習会に参加し、「人間は完全円満な神の子である」との教えに心打たれた。自ら進んで教えを学ぶうち、神の子としての長女の実相*2を拝めるようになった。
*1 教えを学ぶつどい
*2 神によって創られたままの完全円満なすがた

「生長の家で、人間本来の素晴らしさだけではなく、古いものや天然素材を生かすことの大切さも教えていただき、ますます裂き織りが好きになりました。本当にありがたいことです」

「機織りを楽しむ会」が地元のテレビや新聞で紹介されると、仲間が3人から8人に増えたという。会が開かれる日、機織りの音が楽しげに響く光景が浮かんできた。

『いのちの環』No.162「美のステージ」写真5

短歌を愛好する牛山さんは、こんな表装をして部屋を飾っている

『いのちの環』No.162「美のステージ」写真6

今も農作業に励む5歳上の夫の勝運さんと。夫婦ともに健康そのものだ