生長の家では、「人間の本質は神の子であり、肉体的存在ではなく、神の生命が宿る霊的実在である」と説いています。私たちの生命は永遠であり、先祖や両親から受け継がれた尊いものです。一人ひとりが、かけがえのない個性と無限の可能性を持ち、内在の神性・仏性を表現するために生まれてきた、唯一無二の存在なのです。

 また、生まれてくる子どもは、「自分の魂と類似の精神波動をもつ両親に牽引(けんいん)されて母体に宿る」とも説かれています。堕胎はその子どもの誕生を拒み、生命を霊界へと押し戻すことになるのです。もし産んであげられなかった場合は、流産児に思いを寄せ、真心を込めて供養し、愛情を注ぐことが大切です。

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母の愛を求めて

 
 私の母には自然流産した子がいて、お寺に水子供養をお願いしていました。後に私が生長の家の教えに触れ、流産児の供養には、懺悔と愛の心で聖経*1を読誦することが大切だと教わり、母にもその意義と方法を伝えました。
*1 生長の家のお経の総称

 母はすぐに流産児に名前を付けて命日を決め、幼い子が喜ぶものを供えて、毎日、聖経読誦をして供養するようになりました。さらに生長の家宇治別格本山*2に永代供養も申し込みました。今でも母が嬉しそうに聖経を誦(あ)げていた姿が、私の心に残っています。
*2 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある

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飛鳥讃歌*3には、堕胎によって霊界にいる童(わらべ)は、母親に存在を認めてほしい、愛されたいと、母の愛を求めていることが描かれています。そして、母親が童への愛に目覚め、和解したとき、母親と童は「神の子」として共に成長していくのです。
*3 生長の家総裁・谷口雅宣著、生長の家刊

 人生には本来、失敗も過ちもなく、たとえ流産という経験をしても、それは自己の内なる「神の子」を輝かせるための魂のレッスンなのです。流産児に心を寄せ、明るく前向きに感謝の生活を送りましょう。

(岡田伊都子(おかだ・いつこ)・生長の家本部講師)