千葉美喜子(68歳) 仙台市青葉区

1歳になる前に養女となり、養父母の愛情に包まれて育った。しかし、「どうして私を手放したの」という実父母へのわだかまりは、結婚して母親になっても消えなかった。生長の家の教えに導かれ、感謝を深めるうち、30年以上抱え続けた心の重荷が、ある日、嘘のように消えていった。

屋外で微笑む千葉美喜子さん
写真/遠藤昭彦

 
 男の子と女の子の双子として生まれた私は、一歳の誕生日を迎える前に養子に出されました。

 養父母は、私が物心ついた頃から養女であることを隠さずに話してくれていました。「実の子ではないと後から知って、ショックで心がゆがんでしまってはいけない」という思いからだったようです。

 養父母は物事を深く考える人でしたから、私は大切に育てられました。それでも、実の父母には年に一度会う機会を作ってもらっていたものの、「どうしてわが子を手放せるのだろう」という淋しさが、心から離れなかったのです。

青い寝具の上に見える乳児の足

 
 後になって8歳上の実の姉から聞いたところによると、生みの母方の祖父が、双子の誕生を忌み嫌う古い迷信を信じる人で、私を隠して育てるよう強いていたそうです。

 そのため、生みの父母は「この子を元気に育てられないかもしれない」と思い、姉が通う学校の先生に相談して、教師だった養父を紹介してもらったのでした。

 私は高校卒業後、栄養学を学ぶため東京の専門学校に入学し、卒業後は宮城県古川市(現大崎市)の老人施設で働き始めました。その後、24歳で結婚し、四児の母となりました。

手に持った哺乳瓶と、並べて置かれた哺乳瓶

 
 養父母への感謝は以前にも増して強くなりましたが、実の父母には割り切れない気持ちを抱えたままでした。養女に出されたいきさつを知ってからも、それは変わらなかったのです。そんな私に転機が訪れたのは、3人目の子どもが生まれた30歳の頃でした。

父母への感謝の大切さ

 
 その頃、突然右の足首が痛み出したのです。さらに42度の高熱が二晩続き、ふくらはぎが腫れ上がりました。3日目に病院で診てもらうと、蜂窩織炎という細菌による感染症と診断されました。放っておくと脚が腐ってしまうこともあると言われ、その日の午後、すぐに手術となりました。

 術後、傷口を縫い合わすことができなかったため、膝を曲げることもできませんでした。3週間後に太ももの皮膚を移植して傷を塞ぎましたが、寝たきりの状態が続き、退院まで3カ月以上かかりました。

 入院中、子育ての勉強を一緒にしていた知人が、「良い本だから」と生長の家の本を持って見舞いに来てくれました。書名は覚えていませんが、その本に「『七つの燈台の点燈者』の神示*1」という文章が載っていました。「汝ら天地一切のものと和解せよ」という言葉で始まるその神示を読み進めると、「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」とありました。
*1 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉

開かれた本のページ

 
 この時、「これはまさしく今の私のことだ!」と衝撃を受け、ベッドの上で号泣してしまいました。これが、私が初めて生長の家の教えに触れた瞬間でした。

 退院後もしばらくは、家事はおろか正座することもできませんでした。まともに歩くことも難しく、1歳の息子に「どちらが先に普通に歩けるか、競争だね」と言っていたほどです。

 やがて徐々に回復し、足を引きずりながらも地元の誌友会*2や母親教室*3に出かけられるようになりました。生長の家独得の座禅的瞑想法である神想観も学び、正座ができないので椅子に座って実修しました。
*2 教えを学ぶつどい
*3 母親のための生長の家の勉強会

 この頃の私は、「一度は死まで覚悟したのだから、残りはおまけの人生! 怖いものは何もない!」という心境で、信仰に生きる喜びを見出していました。

 しかし、生長の家で父母への感謝の大切さを教えられても、生みの父母への感謝ができないままだったのが大きな悩みでした。「感謝しなければ」と思うのですが、心からの感謝はできなかったのです。

屋内で微笑む千葉美喜子さん
生長の家宮城県教化部で、生長の家の教えに初めて触れた頃のことを回想する(写真/遠藤昭彦)

 

感謝の葉書

 
 そんなある日、生長の家の先輩に相談すると、「実のお父さん、お母さんに、毎月感謝の葉書を出してみてはどう」とアドバイスをいただきました。

「実際に感謝の思いが湧かないのなら、初めはそれでもいい。感情を込めなくてもいいから、とにかく『ありがとう』という葉書を出し続けるのよ」と言うのです。

「感情を込めなくてもいい」という言葉に後押しされ、当時、栃木県で暮らしていた実父母に毎月葉書を書き始めました。すると、数カ月後に実母から「とても嬉しい葉書をありがとう」と書かれた手紙が届いたのです。実母の「ありがとう」の一言が、閉ざしていた私の心を少しずつ解かしていきました。

 それからも感謝の葉書を書き続けていると、ある日突然、それまでとはまったく違う思いが湧き上がりました。

罫線のある紙と万年筆

 
「私は自分が入院して、1歳の息子と離れていただけで淋しく苦しかったのに、1歳にも満たない私を手放した実母は、どんなに苦しくて泣いただろう。実父はどんな思いで送り出したのだろう。実父母もまた、苦しみながら決断したのだ」

 そう考えただけで、涙がこぼれてきました。

「私は捨てられたのではない。幸せを願って送り出された子なのだ」

 そう思うと、胸の奥で固く閉ざしていたものがほどけていくようで、感謝の気持ちがどっと込み上げてきたのです。「恨みが消えると、こんなにもありがたくて楽な気持ちになれるのだ」と思え、それからは感謝の葉書に心の底からの思いがこもるようになりました。30年以上にわたった苦しい気持ちが、生長の家の教えに触れてたった2年で変わったのでした。

 気づいてみれば、私は親が4人もいる幸せ者でした。それからは、この幸せな人生に感謝しながら夢中で4人の子育てをし、栄養学、漢方、薬膳を学びました。今は学んだことを、感謝の思いと共に暮らしの中で役立てていくことが、大きな喜びとなっています。

大人の手に触れる乳児の手

 
 宮城県教化部*4で開かれる生長の家オープン食堂*5の手伝いに、昨年から参加し始めました。中学生の孫も一緒に参加してくれます。孫たちにも感謝の生き方が伝われば、これほど嬉しいことはありません。
*4 生長の家の布教・伝道の拠点
*5 生長の家の各教区が開催する、地域に開かれた食堂

 あの日、「ありがとう」の葉書を書き始めたことが、私の人生を変えてくれました。今では四人の親から愛をいただいた幸せを思いながら、感謝の毎日を生きています。