花城ユリさん 茨城県牛久市・20歳・パート

花城ユリ(はなしろ・ゆり)さん 茨城県牛久市・20歳・パート
取材●長谷部匡彦(本誌)

花城ユリさんは、JAL(日本航空)の空港カウンターで、搭乗手続きや荷物の受け取りなどを行うグランドスタッフとして働く夢を描き、専門学校で学んでいた。しかし、ちょうどその頃から世界的に流行し始めた新型コロナウイルスの感染拡大により、目標を見失い、精神的に参ってしまったという。そんな挫折感から立ち直ることができたのは、神想観(*1)という瞑想法によって、自分の心に向き合う時間をもつようになったのがきっかけだった

「商品の値段などがわからずに困っている外国人のお客様が、片言の日本語で尋ねてくることがあります。私がポルトガル語や英語で説明すると、安心した表情で『ありがとう』と言ってくれるのが嬉しいです」

 そう話す花城さんは、ポルトガル語と英語の語学力を生かし、茨城県にある外資系の倉庫型スーパーで働いている。同僚には日本人の他に、フィリピン、韓国などのアジア人、さらにアメリカやブラジルなど様々な国籍の人たちがいる。

「仕事の合間には、ブラジル人の仲間とポルトガル語で話すのが楽しいです。日本と違う文化で育った人たちの考え方が新鮮で、いつも刺激を受けながら仕事をしています」

お役に立てることが嬉しくて

 日系ブラジル人の両親のもと、日本で生まれた花城さんは、5歳までポルトガル語しか知らず、初めて日本語に接したのは、幼稚園に通うようになってからのことだった。

 当時は、園児や教諭が何を話しているのかわからなかったが、教諭がイラストを交えて説明してくれたので、なんとか幼稚園で過ごすことができた。しかし、小学生になると、国語の授業で漢字の読み書きも始まり、パニックに陥った。

「先生が黒板に書く内容をノートに写すことにも苦労して、必死に日本語の勉強を始めました。小2の頃から日本語を理解できるようになってきたんですが、日本に住んでいて日本人の顔をしているのに、家ではポルトガル語、家の外では日本語を使う環境に、『どちらが本当の自分なんだろう?』って、周囲と比較して劣等感を抱えるようになってしまったんです」

 ポルトガル語を話すことを拒否していた時期もあった。だが、難しい漢字が読めない母親のために、学校の便りや、役所への提出書類などをポルトガル語に訳し、書き方を伝えてあげるようになった。

「小5の時に『困っている人を助けて欲しい』とお母さんに頼まれて、日本語が分からない親族やお母さんの友達のために、役所関連の書類の提出や、銀行の口座開設などの手伝いをするようになったんです。不安な表情をしていた人たちから、『本当にありがとう!』と笑顔で言われたときは、人のお役に立てたことに幸せを感じました」

悩みから解放され夢を見つける

 中学生になると、高校や大学へ進学したいという希望を抱くようになった。だが、ちょうどその頃に母親の妊娠を知り、家には金銭的な余裕がないと思い込み、悩むようになった。

「進学したいという思いと同時に、お母さんを助けたい気持ちもあったんです。でも、家計を助けるために働きたいと思っても、まだ中学生で働くこともできず、勝手に自分一人で悩みを抱えて塞ぎ込んでいました」

 そのため、中学1年の後半から2年の3学期まで不登校気味になった。しかし、3年に進級する年の3月、母親の勧めで生長の家の練成会(*2)に参加し、浄心行(*3)を行ったことが、悩みから解放されるきっかけとなった。

「両親がブラジルから来日した時に搭乗したのがJALでした。『親切な接客が良かった』と聞かされていたので、JALのグランドスタッフを希望していました」。生長の家茨城県教化部で

「両親がブラジルから来日した時に搭乗したのがJALでした。『親切な接客が良かった』と聞かされていたので、JALのグランドスタッフを希望していました」。生長の家茨城県教化部で
(撮影/遠藤昭彦)

「浄心行の用紙5枚に、何が原因かも分からない怒りの言葉をありったけ書き連ねました。聖経(*4)を読誦しながら、それを焼却する火を見つめていたら、ふっと心が軽くなって、他のことを考えられるようになり、高校へ進学する決心ができたんです」

 高校に進学した花城さんは、英検2級に合格し、TOEICでは550点を獲得。英語とポルトガル語の語学力を生かし、将来は、来日する外国人の手助けができるJALのグランドスタッフになる夢を描き、返済型の奨学金を借りて、都内の専門学校に進学することに決めた。

理想と現実が違いすぎて…

 専門学校への進学を直前に控えた2020年の2月、気持ちを新たにするため、生長の家宇治別格本山(*5)で10日間の練成会を受講した。

「そこで『人間は神の子で、無限の力がある』という講話を聴いたり、朝5時10分からの神想観を実修するなかで、夢への決意を新たにしました。まだ希望に溢れていた時でした」

 しかしその頃から、都内で新型コロナの感染拡大が始まったため、専門学校に通学できなくなり、オンラインでの授業を受けることになった。

「最初の頃は新型コロナだから仕方がないと思っていました。でも、オンライン授業で教えてもらえたのは、挨拶の仕方といった基本的な内容だけで、時間も15分位とすごく短かかったんです。専門学校の方でオンライン授業を行う環境が整っていなかったこともありましたが、想像していたような英語でバリバリ話す授業とか、新しいノウハウを学べることもなく、自宅の部屋で、小さいスマホの画面に向かっている自分を受け入れることができませんでした」hidokei145_rupo_3

 

   東京に通学することを楽しみにしていた花城さんは、6月に入って緊急事態宣言が解除されたことを受け、ようやく登校できるようになった。

「通学できるようにはなったんですが、『もし私が東京で新型コロナに感染してしまったら、家族や周囲の人たちに迷惑をかけてしまう』と思い、通学している間はずっと気を張り詰めていました」

 なんとか自身を鼓舞して通学していたが、不安な思いは消えず、気持ちの浮き沈みを繰り返し徐々に気力を失っていった。さらに、大手航空会社が希望退職者を募り、一部の社員をコールセンターに出向させているといったニュースが、花城さんの心に追い打ちをかけた。

「9月に入ってからは布団から起き上がれなくなったり、電車のなかで気がつくと涙をながしていたり、吐き気を催すことも度々あったりして、学校に行けず、途中でお母さんに迎えに来てもらうこともありました。心配したお母さんは『学校を辞めてもいいよ』と言ってくれましたが、借りた奨学金のことや返済を助けてくれているお母さんのことを考えると、簡単に辞められなかったんです。前に進むことも辞めることも出来ずに息がつまる思いでした」

道は一つではない

 翌年2021年1月に、花城さんが学校へ行くと、就職を希望していたJALは向こう4、5年は採用がないことを知らされた。他の航空会社も検討したが、自身が働く姿が想像できず、 グランドスタッフになるという夢が崩れていった。

 専門学校の先生や学校の友人に相談し、「あと1年で専門学校卒業の資格が取れるから頑張ろうよ。いま辞めるのはもったいないよ」と引き止めてくれたが、決心がつかなかった。

「生長の家の講師に相談したら、『あなたがやりたいことをするのが正解であって、どの道に進んでも失敗はないよ』というアドバイスをもらいました。それで、自分が本当にやりたいことを知りたくて、神想観の実修を始めました。最初の頃は、学校やお金、就職などに対する不安がたくさん浮かんできたんですが、毎日続けていくうちに、学校を辞める決心がついたんです。すると、真っ白な心境になって、一度なにもかも手放した方がいいんじゃないかと思うようになったんです」  

 神想観の実修は、自分自身の心と向き合う時間だったと、花城さんは振り返る。

「神想観をすることで、『私が進む道はこれしかない』という思いに振り回されていたことに気づきました。神様が創造された本当にある完全円満な世界には、選択肢が無数にあると分かってきて、様々な人の価値観に触れることで、自分の進むべき道は一つではないと思えるようになったんです。私にとって新型コロナは、新しい価値観に気づく、大きなきっかけになったと感じています」

 新たな未来に向かって、花城さんは歩み出している。

*1 生長の家独得の座禅的瞑想法
*2 合宿して教えを学び、実践するつどい
*3 過去に抱いた悪感情や悪想念を紙に書き、生長の家のお経『甘露の法雨』の読誦の中でその紙を焼却し、心を浄める行
*4 生長の家のお経の総称
*5 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある