イラスト/ろぎふじえ

イラスト/ろぎふじえ

 これまで、日本国憲法の条文は日本人の意思と無関係につくられたものではなく、鈴木安蔵や幣原喜重郎など、その作成に大きな影響を与えた日本人がいたことを紹介してきました。今回は、帝国議会の審議の過程においても、日本国憲法のなかに日本人の意思が盛り込まれたことをご紹介します。

 日本政府は、GHQ案をベースに、GHQと一条ごとに討議を重ねました(*1)。そして、1946年4月17日に「帝国憲法改正草案」を公表しました。この草案は、6月20日に帝国議会に提出されたあと、衆議院と貴族院の双方において修正され、11月3日に「日本国憲法」として公布されました。

 修正は、国民主権の明記や普通選挙の保障、内閣総理大臣をはじめとする国務大臣を文民とする規定など、GHQ側の要求に応えるものがあった一方で、日本側の独自の提案によるものもありました。その一つが、「生存権」の導入です(*2)。

「生存権」は、日本国憲法第25条第1項において、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定されています。この条文を読めばすぐに分かるように、「生存権」とは人間的な生活を送ることができる権利のことです(*3)。資本主義経済の発達によって失業・貧困・労働条件の悪化などが進行する中、「個人の尊重」の観点から弱者の自由と生存を守るために、20世紀になって立憲主義に新たに取り入れられた「社会権」の一つとして位置づけられています(*4)。

 続く25条の第2項は、1項の趣旨を実現するため、国に生存権を具体化する努力を義務づける規定になっています。これは、生活保護法・児童福祉法・老人福祉法などの社会福祉関連法や、国民健康保険法・国民年金法・介護保険法などの社会保険関連法の根拠となっています。つまり、現在の日本の社会保障制度を根底で支えているのが、25条第1項なのです(*5)。

 その25条第1項は、当初、憲法を制定する過程においては、GHQ草案にも、日本政府による草案にも存在していませんでした。この条文が盛り込まれたのは、憲法改正が審議された衆議院の特別委員会においてで、社会党の代議士であった森戸辰男(もりとたつお)らの熱心な主張によるものでした(*6)。

 森戸は、鈴木安蔵らが参加していた憲法研究会のメンバーでした。その憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」には、「国民権利義務」として「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス」という、25条1項の元となる条文が盛り込まれていました(*7)。実は、憲法研究会案に、この条文を付け加えることを提唱したのは、森戸その人でした。森戸は、ワイマール・ドイツに留学した経験があり、世界で初めて社会権を明確にし、「人間たるに値する生存(*8)」を保障した「現代立憲主義の先駆け(*9)」であるワイマール憲法に深く共感していたのです(*10)。

 特別委員会の委員長を務めた芦田均(あしだひとし)は、森戸の主張に対して、草案12条(現行憲法13条)の「すべて国民は、個人として尊重される」という条文に「其の生活権は保障される」と付け加えてはどうかと応じました。これに対し、森戸は「〔草案〕23条に具体的に書かなければならぬ」と譲(ゆず)らず、森戸と同じ社会党代議士の鈴木義男も「生存権は最も重要な人権」だと強く反論したのです(*11)。こうして、彼らの主張通りの条文が日本国憲法に盛り込まれることになりました。

 それは、日本人みずからの意思によって、日本国憲法のなかに、立憲主義の最先端の理念が取り入れられた出来事だったのです。(生長の家国際本部 国際運動部講師教育課)

*1=古関彰一著『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫、2009年)、177〜185頁
*2=大石眞著『日本憲法史〔第2版〕』有斐閣、2005年、353〜355頁
*3=渋谷秀樹著『憲法(第2版)』(有斐閣、2013年)、274頁
*4=芦部信喜著『憲法 第6版』(岩波書店、2015年)、84頁
*5=前掲書、268頁
*6=南野森編『憲法学の世界』(日本評論社、2013年)、254頁
*7=「憲法草案要綱 憲法研究會案」国会図書館ホームページ、http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052/052tx.html(2018年7月21日アクセス)
*8=辻村みよ子著『比較のなかの改憲論』(岩波新書、2014年)、13頁
*9=伊藤真著『憲法問題』(PHP新書、2013年)、235頁
*10=神田憲行著「GHQでなく日本人が魂入れた憲法25条・生存権」日経ビジネスONLINE、http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/022300002/?P=2(2018年7月21日アクセス)
*11=『憲法学の世界』、254〜255頁