イラスト/ろぎふじえ

イラスト/ろぎふじえ

 自民党は憲法改正として4つの項目を検討しています(*)。その中には、「緊急事態条項」(国家緊急権)があります。これは、戦争、内乱、恐慌(きょうこう)ないし大規模な自然災害などで、平時の統治機構をもってしては対処できない非常事態において、国家権力が国家の存立を維持するために、立憲的な憲法秩序(人権の保障と権力分立)を一時停止して非常措置(そち)をとる権限のことを意味します。

 非常事態が起きた時に、国民のためではなく、国家のために、「人権の保障」と「権力分立」を一時停止し、政府に権力を集中させ、人権を制約するのです。

 じつは、かつての大日本帝国憲法(明治憲法)には国家緊急権の制度がありました。それは、緊急勅令(ちょくれい)(8条)、戒厳(かいげん)(14条)、非常大権(31条)、緊急財政処分(70条)の4つです。

 緊急勅令は、議会が閉会で緊急の必要がある場合、法律にかわる勅令を政府が天皇の名で発することを可能にしたものです。公共の安全保持、または災厄(さいやく)を避けるための規定でしたが、実際は、こうした非常時ではなく、平常時に“緊急”と煽(あお)って公布されました。治安維持法など軍国主義化を促進する多くの法律の制定・改正がこれによってなされました。

 次に、戒厳とは戦時または事変に際して、平時の法を停止し、行政権・司法権の全部または一部を軍隊の司令官にゆだねることです。日露戦争以降は、日比谷焼打事件(1905)、関東大震災(1923)、二・二六事件(1936)に際して、緊急勅令を利用して戒厳(行政戒厳)が行われました。いずれも戦争や内乱のような武力衝突が起きたわけではないのですが、もっぱら国内治安維持のために利用されました。

 関東大震災の際には、司令官が治安目的で軍隊に武器の使用を命じるなどしたため、この権限が濫用(らんよう)され、多数の朝鮮人が虐殺(ぎゃくさつ)されました。また、二・二六事件は内乱に至らない武力行動でしたが、戒厳が適用され、軍の力が大きくなっていきました。

 非常大権は、戒厳を超える非常手段です。これが発動されることはありませんでした。

 緊急財政処分は、議会を招集できず、公共の安全のために緊急に財産処分の必要がある時、勅令として政府が処分できる権限です。国家の財政は議会の議決した予算によって処分することが原則でしたが、このように例外が認められていました。

 敗戦後、日本国憲法が制定されましたが、あえて国家緊急権は設けられませんでした。というのも、明治憲法下での国家緊急権の濫用に対する反省があったためです。具体的には、国民の権利を擁護(ようご)するには、非常事態に政府の一存で行う措置は極力防止しなければならないこと、そして「非常」という言葉を使って政府が自由に判断できるような余地があると、精緻(せいち)な憲法でも破壊される可能性がある、などの理由でした。立憲的憲法秩序の一時停止は非常に危険であることがわかります。ですから「緊急事態条項」の創設には同様に危険な側面があることを理解しておかなければなりません。

 なお、日本国憲法では非常事態への対応は法律の整備により行なわれることになりますが、すでに詳細な規定が設けられており、そうした緊急時への対応は可能になっています。

*=朝日新聞2017年8月2日「改憲ありき あせる自民」

参考文献 
谷口雅宣監修『誌友会のためのブックレットシリーズ3‌ “人間・神の子”は立憲主義の基礎──なぜ安倍政治ではいけないのか?』(生長の家、2‌0‌1‌6年)
永井幸寿著『憲法に緊急事態条項は必要か』(岩波ブックレット、2‌0‌1‌6年)