51歳の夫に膵臓がんが見つかり、半年後に亡くなった。
生きる気力を無くし、死にたいとさえ思った。
そんな途方に暮れていた時、かつての職場の同僚から生長の家の教えを伝えられ、生きる希望が湧いてきた。

「夫が見守ってくれていることに感謝しながら、毎日店を開けています」(冨山釣具店で)

「夫が見守ってくれていることに感謝しながら、毎日店を開けています」(冨山釣具店で)
冨山美千代(とみやま・みちよ)さん 74歳・香川県三豊市

「助けて! 誰か私を助けて!」
 そう叫びたくても、声が出ませんでした。喉元に鉛の塊のようなものを感じ、全身に力を入れないと言葉を発することができないのです。私は真っ暗な部屋の中で位牌を抱いてガタガタと震えていました。

 原因は夫の死でした。当時小学校2年生だった長男の世話や、夫から受け継いだ釣具店の仕事は何とかこなしていました。しかし、不安と恐怖に苛まれ、死にたいとさえ思うほど苦しかったのです。

 私は20歳の時に4歳年上の夫と結婚し、20年後の昭和62年に、夫は念願だった釣具店を始めました。早朝から釣りを楽しむ方に合わせて朝4時に開店し、夜釣りをされる方のために夜9時まで店を開けていました。定休日は設けず、ずっと仕事をしていました。生活は一変しましたが、釣りが大好きな夫は毎日生き生きとしていました。私も育児をしながら店を手伝いました。忙しい毎日でしたが、幸せを実感していたのです。

 開店して5、6年が経つと、店が手狭になってきました。駐車場もなく、お客様に不便をかけていたので、もっと広い場所で店を開きたいと考え、平成6年に現在の場所へ移転しました。新しい店を夫はとても喜び、以前にも増して仕事に没頭しました。

 そんなある日、夫は腹痛を訴え、病院で検査を受けました。すると膵臓にがんが見つかり、末期がんで余命半年の宣告を受けました。抗がん剤治療や手術も行いましたが、半年後に帰らぬ人となってしまったのです。

 どん底に突き落とされた私は、小学2年生の長男とこれからどうやって生きていけばいいのかと、不安に押しつぶされそうになりました。呼吸すら苦しくなり、心療内科を受診しました。

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「今も開店時と閉店時に、祝福と感謝の祈りを続けています」

生きる勇気を与えられ

 そんなある日、知人が店を訪ねてきました。仏像や水晶玉、ネックレスなどを持ってきて、「これらに手を合わせて拝むと楽になる」と言いました。私はこの苦しみから逃れたい一心で仏像やネックレスを購入して、毎日拝みました。これは私が求めていたものではないという思いがありましたが、他に頼るものがなかったので、毎日手を合わせていました。

 夫が亡くなって2年が経った頃、近所に住む昔の同僚が店を訪ねてくれました。私のことを心配してくれていた同僚は、「生長の家の教えを学べば、どんなことがあっても大丈夫よ」と言いました。すでに他の宗教に入っていることを伝えると、「生長の家では、万教帰一といって、正しい宗教は根本となる教えは皆同じであると説いているから問題ない」と言われ、その教えを学んでみようと思いました。

 同僚から先祖供養と流産児供養を勧められ、その方法も教えてもらいました。さらに、練成会(*1)にも誘われ、生長の家香川県教化部(*2)を訪ねました。教化部に着くなり、生長の家の御本尊に手を合わせようと思って教化部の中を見渡しても見つからず、尋ねてみると、「生長の家では人間は神の子と説き、一人ひとりに宿っている神性・仏性を拝むんですよ」と教えていただきました。そのとき仏像や水晶玉を拝んでいたときに感じていた違和感の理由がわかり、私が求めている教えはこれだと感動しました。

 練成会の講話では「解決できない問題はない」と学び、生きる希望が湧いてきました。そして、「肉体は滅びても、魂は永遠に生き通しである」ということが分かり、夫は亡くなったけれど魂は生き続けているのだと救われた気持ちになりました。

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 先祖供養と流産児供養をはじめて1年が経った頃、明け方にお腹からコトッと音がしたように感じました。その瞬間、「これで良くなる、元気になる」と確信しました。すると、その日から食欲が出てきて体調も良くなりました。心療内科で処方された薬も少しずつ減らしていき、まったく必要なくなりました。以来、毎晩8時から先祖供養と流産児供養、聖経『甘露の法雨』(生長の家のお経のひとつ。現在品切れ中)の読誦、神想観(*3)の実修を続けています。

 すっかり健康を取り戻した私は、どんな小さなことでもよいから人のお役に立ちたいと思うようになりました。生長の家の教えを多くの人にお伝えしたくて生長の家の月刊誌を近所に配りました。毎月100冊を配りながら、うれしさと充実感でいっぱいでした。

 さらに、それまでは自分のための信仰でしたが、誰かのために祈り、聖経(*4)を読誦しようと思いました。夫の2人の兄も若くして亡くなりました。それまで先祖供養をしたりしなかったりでしたが、この時は21日間心を込めて供養をさせていただこうと決心しました。

 21日間続けると、夫と義兄の笑顔が心に浮かび、夫や義兄の存在をより身近に感じることができ、生きる勇気を与えられた気がしました。そして、夫が遺してくれた冨山釣具店がますます繁盛するようにがんばろうと決意を新たにしたのです。

 しかし、そんな矢先、取引している問屋さんから、近くにある同業の店が私の店のことを良いように言っていないことを耳にしました。それでも、生長の家の「大調和の神示」(*5)には「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である」と説かれていますから、私は腹を立てたり、憎んだりしてはいけないと思いました。

 そして、朝の開店時と夜の閉店時に「冨山釣具店商売繁盛。天の蔵よりお金ザクザク天降り、世のため人のために使わせていただきます。お父さん、お母さん、ありがとうございます。家族の皆様、ありがとうございます。○○釣具店様、ありがとうございます」と祝福の祈りを続けました。しばらくすると、その店に流れていたお客様が戻ってきて、祝福や愛念のすばらしさを実感しました。

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和解の祈り

 釣具店の仕事だけでなく、長男夫婦からも和解の大切さを学びました。

 長男は自動車整備士の専門学校を卒業後、自動車販売店に就職し、10年前に保育士の女性と結婚しました。穏やかな長男とは対照的に、嫁はやや性格がきついという印象を持ちました。

 結婚して1年が経った頃、長男と嫁は大喧嘩し、私は二人が暮らすアパートを訪ねました。話を聞いてみると、生活費が足りないのが喧嘩の原因でした。嫁は怒りの矛先を私にも向け、「孫が生まれても、お義母さんには見せない!」と言いました。

 私は長男と嫁が離婚しても仕方がないと半ば諦めていました。しかし、長男には別れる気はないようで、私も祈るしかないと気持ちを切り替えました。そして、毎日の神想観の中で和解の祈りをし、嫁を祝福讃嘆しました。

 しばらくは長男夫婦と疎遠になったものの、祈り続けました。すると、ある日突然、嫁から電話がありました。「七五三で着る着物を作ったからお義母さんに見てもらいたくて……」と、やさしい声で言うのです。それ以来、嫁は一人で私を訪ねてくれるようになり、今はすっかり仲が良くなりました。

 これまでの人生のなかで様々な辛い出来事や困難がありましたが、それを乗り越えることができたのは、生長の家の教えがあったおかげであり、祝福と愛念の力だと実感しています。

*1 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*2 生長の家の布教・伝道の拠点
*3 生長の家独得の座禅的瞑想法
*4 生長の家のお経の総称
*5 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉