水を蓄え、豊かな資源を生み出し、さまざまな生物を育む環境をつくる。地球温暖化を防ぎ、山崩れや台風などの災害から守る。私たちの暮らしと密接な関わりを持ちながら、人々に安らぎを与えてくれる森──。“森の国”ドイツで森林・森林環境コンサルタントとして活動する池田憲昭さんに、ドイツや日本の森林の現状と、日本の森林再生のための方策などについて聞いた。

「ドイツでは、森林が持つ多面的な機能に配慮して森林を維持し、発展させる多機能森林業が実践されています」と語る池田さん

「ドイツでは、森林が持つ多面的な機能に配慮して森林を維持し、発展させる多機能森林業が実践されています」と語る池田さん


池田憲昭(いけだ・のりあき)さん(森林・森林環境コンサルタント)
1972年、長崎県に生まれる。1996年、岩手大学人文社会学部(ドイツ文化専攻)卒業。その後ドイツに留学し、2003年、フライブルク大学森林環境学部ディプローム(理科系)コース(修士相当)卒業。現在は、“森の国”ドイツのフライブルク地域を拠点に、森林・森林環境コンサルタントとして、森と人とのサスティナブルな関係について啓発するとともに、ドイツ環境視察セミナーのオーガナイザー、異文化マネジメントのトレーナーとして日本とドイツの架け橋役を務めるなど幅広い活動を続けている。著書に『多様性 Vielfalt』(Arch Joint Vision 2021年)がある。
noteに多様性に関する書評や記事を多数投稿。

中世の趣が残り、環境首都でもあるフライブルク市

──ドイツにお住まいとのことですが、場所はどのあたりですか。

池田 いま住んでいるのは、ドイツ南西部のフライブルク市近郊、車で15分ほどのシュヴァルツヴァルトの麓にあるヴァルトキルヒという人口約2万人の町です。

 フライブルク市は人口約22万人で、ドイツにおけるゴシック建築の傑作とされる荘厳なフライブルク大聖堂があり、中世の趣が残る文化都市です。赤や茶色を基調にしたパステルカラーの建物が、周辺の森やブドウ畑、牧草地、街路樹や垣根、芝生などの緑に包まれている美しい街並みがあり、その中を、路面電車が歩行者や自転車、車をかき分けるように走る街でもあります。

 またこの街は、1990年代から「環境首都」として、環境保護の先進的な取り組みをしており、日本では「環境首都フライブルク」と紹介されることがあります。大学都市でもあり、私が学んだフライブルク大学のほか、教育大学、福祉系の大学がそれぞれ2つ、有名な音楽大学もあって、芸術家や文化人が多く、魅力とエネルギーに溢れていますね。

──シュヴァルツヴァルトは、どんなところですか。

池田 シュヴァルツヴァルトとは、ドイツ語で「黒い森」という意味で、総面積が約5180平方キロに及ぶ森に囲まれた山地です。

 名前の由来についてお話ししますと、ドイツの森は植林されたトウヒが多く、観光ガイドブックには、「たくさん植えられているトウヒが、黒々として見えるから黒い森と言われている」などと書かれていますが、実はそれは違うんです。

 ドイツの原生の森は、放っておくと自然の移り変わりで少しモミが入ることがあっても、大体ブナが主体になってしまいます。ブナは耐陰性の木で日陰に強いので、自ら日陰を作って、ほかの樹木が生えないような環境にしてしまうんです。

 そのため、ブナの森はすごく暗くて鬱蒼としたものになり、フライブルクの周辺に古代ローマ人の基地や町があった頃には山賊などもいて、怖い森だったんですね。それで、古代ローマ人が“怖い森”という意味合いでシュヴァルツヴァルト(黒い森)と呼ぶようになったと言われています。

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シュヴァルツヴァルト中南部にあるシモンズヴァルト谷。豊かな自然が広がる

ドイツ留学がきっかけで森林環境学の道に進む

──フライブルク大学で森林環境学を学ばれたそうですが?

池田 森林環境学について話す前に、私がなぜ、フライブルク大学で森林環境学を学ぶことになったのかについてお話ししたいと思います。

 私は長崎県で生まれたんですが、長崎にはキリスト教徒が多く、佐世保には米軍基地もあって異文化に触れる機会が多い土地柄でした。そのせいか、祖父はヨーロッパの文化に興味を持ち、新聞や雑誌などで得た知識をよく私に話してくれたんです。また、祖父の妹である大叔母は海外旅行が趣味で、イタリアなどのヨーロッパ諸国を旅しては、小物や置物、絵ハガキなどをお土産に持ってきてくれました。

 そんな二人から影響を受けたのと、「よい大学に入ってよい会社に勤める」という人生に嫌悪感を持っていたため、いつかヨーロッパに行ってみたいという思いを募らせるようになりました。それで、ドイツ留学の奨学金制度があった岩手大学の人文社会科学部に入学したんですが、奨学金の選抜試験で落ちてしまったんです。

 しかし、どうしても行きたかったので、2年間休学してアルバイトでお金を貯め、22歳の時に1年半、ドイツに留学しました。

──どちらの大学に行かれたんですか。

池田 その頃は、森林環境学を学ぼうなどということはまったく考えておらず、ドイツでヨーロッパの文化を体験したいというのが、一番の思いでした。最初の半年は、南西ドイツ、マンハイム市のマンハイム大学と語学学校、残りの半年は、フライブルク大学の留学生向けのコースで、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、中南米、韓国、中国、東南アジア、アフリカなど、文化的な背景も目的も違う多様な仲間たちと一緒に学び、遊び、語り合いました。

 そして、先ほど冒頭でお話ししたような環境にあるフライブルクで生活するうちに、森に関する環境分野の勉強をしたいという思いが生まれた気がします。

フィールドワークを重視した実践的、包括的な森林学

──その後、どうされたんですか。

池田 いったん帰国して岩手大学に復学し、卒業してからドイツに戻り、フライブルク大学の森林環境学部ディプローム(理科系)コースに入学して、森林環境学を学ぶようになりました。

 なぜ、この学部を選んだのかというと、土壌学、地質学、気象学、植生学、樹木生理学、動物学、統計学、測量学、森林成長学、造林学、木材利用学、経営学、環境教育学など、森をマネジメントするために必要な、幅広い基礎知識とノウハウが、フィールドワーク(野外調査)による実践的なカリキュラムで学ぶことができるという魅力があったからです。

──具体的にはどんなことを?

池田 1997年から2003年にかけてフライブルク大学で学んだ森林学は、思っていた通り、フィールドと深く結び付いた、実践的かつ包括的なものでした。

 午前中に講義を受け、午後は実習ということがよくあって、夏には、午後から日が暮れる夜9時頃まで、教授と一緒にフライブルクのシャウインスラント山(標高1284メートル)に麓から頂上まで登ったりしました。帰りは別のルートで降りてきて、その途中、教授から森づくりの話を聞き、皆でディスカッションしました。また、広葉樹主体の森を自転車で60キロあまり走り回って、計測と成長シミュレーションの実習をしたこともありました。

 教授も講師も、とにかく森が好きな人が多くて、森の話をし出すともう止まらないんです。雨が降っていても、気温がマイナス5度くらいになっても関係なく話を続けるんですね。その時の目の輝きやちょっとした仕草から、自然や森に対して深い愛情を持っていることが感じられました。

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バロック様式の教会と修道院がある、牧歌的なシュヴァルツヴァルトの里山、ザンクト・ペーター村

自然を活かす森林マネジメント近自然的森林業

──ご著書の『多様性 Vielfalt』には、フライブルク大学でもっとも多くを学んだのは森林業だと書かれていますね。

池田 森林業というと、皆さん、どんなイメージを持たれるでしょうか。林業と同じように思う方が多いかもしれませんが、実は違うんですね。

 林は木という字が2つ並んでいて、区切られた用地で、平面的、単調、木が揃って整然としているというイメージがありますが、森は、林の上にもう一つ木が乗っていて、立体的で多様性があり、複合的に絡みあっているというイメージを抱かせます。

 ですから林業というと、単一樹種を植えて育て、生長したら一斉に伐って、その後また木を植えてという具合いに、直線的で、時間ごとに作業が区切られた、“畑作的”な生産活動が思い浮かびます。実際に、日本も含め世界の大半の原木生産は、この畑作的方式で行われています。

 こうした場合、森林は自然の林と、経済的な利用を主な目的として人間が造成した林に仕分けされ、日本では前者が天然林、後者が人工林と区別されているんですね。

──森林業は、それとは違うんでしょうか。

池田 私がフライブルク大学で学んだ森林業とは、自然の多様性や、自然のサイクルを観察して理解し、自然に合わせ、自然を活かして樹木を育てるという手法でした。これは、森を森として維持しながら原木を利用するほか、過去に人間が造成した林を、間伐しながら自然の力を利用して森にしていくことなんです。

 森林業では、林業のような、植林―保育―間伐―主伐という作業の時間的・空間的な分離がなく、流動的です。伐ることが同時に、周りの木々を育てることに繋がり、次世代の生命の誕生(天然更新)を促す、サイクル型の生産活動を行う。このような自然に合わせた、自然を活かした森林マネジメントのことを「近自然的森林業」というんです。

森林の多面的機能に配慮し、維持発展させる多機能森林業

──前掲書では森林業のベースとなるコンセプトとして、近自然的森林業のほかに「多機能森林業」をあげておられましたが。

池田 多機能森林業というのは、森林業のもう一つの特徴と言っていいものです。

 森林業においては、ここは経済林、ここは自然保護林、ここはレクリエーション林と、場所ごとに機能を分離して森を取り扱うのではなく、一つの場所でさまざまな機能を統合的に扱い、生態系や景観、国土を保全する機能のバランスを取りながら経済的な利用も行います。

 そうした森林の多面的機能に配慮し、さらに維持発展させる形の森林マネジメントのことを、多機能森林業というんですね。

──ドイツでは、多機能森林業が実践されているんでしょうか。

池田 そうですね。ドイツの「森林の維持及び林業の助成のための法律 (連邦森林法)」でも、その実践が推奨されていますし、1970年代以降、自然環境保護の意識と運動の高まりを受け、理想的でサスティナブル(持続可能)な森林管理の方法として、他の国々でも支持者が増えています。

 ドイツの森林面積は国土の30%(1千万ヘクタール)で、農地は50%近くあります。農地が多いのは、「農地にすることができる平地や緩やかな丘陵地が多い」ということで、その意味では、「農地にできないようなところが森林として残っている」という理解でいいと思います。

 30%の内訳ですが、日本のように人工林、天然林という区別はなく、自然保護地域や経済保護地域など、さまざまなカテゴリーで保護されています。森林の97%で大なり小なり木材生産が行われ、並行して自然保護、レクリエーション機能創出などが一緒に行われています。つまり森を機能別にカテゴライズ(分類)するのではなく、統合的に扱うという森林マネジメントがなされているんです。

 ドイツは日本と同様、小規模な私有林が多く、森林の40%~50%を占めていますが、森林官からさまざまなサポートを受け、私有林においても適切な森林管理が行われています。

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森の中を歩く習慣が身についているドイツの人たち

世界でも類いまれな“森林大国”日本

──ところで日本の森林については、どう見ておられますか。

池田 私は、2010~11年、林野庁主催の「森林・林業再生プラン実践モデル事業」に、ドイツとオーストリアの森林官と一緒に、コーディネーター兼通訳として招聘されました。その際北海道から宮崎まで、日本のあらゆる森林をさまざまな視点や角度から視察する機会を得て、林業作業士や森林組合関係者、行政職員、政治家、研究者など多くの人と交流することができたんですが、その結果、次のようなことが分かりました。

 日本の気候は、亜寒帯から亜熱帯まであって多様であること、地質や地形も、地殻変動や火山、豊富な雨や雪による浸食などの影響で複雑であること、そうした立地条件の良さを反映して植生も豊かで、樹種の数もヨーロッパより遥かに多いということです。

 また、日本の日射量はドイツの1.2倍から1.5倍くらいあり、基本的にどこでも雨が多い。ドイツの年間平均雨量は、800~900ミリで世界の平均並みですが、日本は約1700ミリもあり、山間部では、2500~3000ミリを超える場所もたくさんあります。しかも日本には、北海道を除いて梅雨があり、植物が生長する時期にたくさん雨が降るんです。

──日光と水の話が出ましたが、土はどうなんでしょう?

池田 土壌も非常に豊かです。日本各地の森林の土壌を見て、触ったヨーロッパの森林官たちは、「腐葉土の層が信じられないくらい厚い」「こんなA級の土壌は、ヨーロッパの森林にはない」と一様に驚き、感動していました。

 日光と水、それに土と、樹木が生長するのに必要な条件が揃っていて、森林業の実践にこれほど恵まれている国は、そう多くないと思います。それに日本の森林面積は、国土の67%(2500万ヘクタール)もあり、ドイツの30%(1千万ヘクタール)と比べても分かるように、世界でも類いまれな“森林大国”と言っていいと思います。

“森林業”への転換こそが日本の森林再生の道

──そうした好条件に恵まれているにもかかわらず、日本の森林の荒廃が問題になっています。日本の森林再生の道は、どこにあるとお考えですか。

池田 日本で行われているのは、先ほどお話ししたように、森を経済林である人工林、天然林に分けて、「木材生産は人工林でやりましょう」という“畑作的”な生産活動を行う、経済重視、収益重視の林業なんですね。

 しかし、本来複合的で多機能な森を、単調な人工林だけで行う畑作的な生産活動に使うのは、環境にさまざまなダメージを与え、自然災害を引き起こすなどのリスクも大きく、せっかくある財産を台無しにしてしまう可能性があります。

 ですから、先の「森林・林業再生プラン実践モデル事業」では、林業から自然の多様性、自然のサイクルを観察して理解し、自然に合わせ、自然を活かして樹木を育てる“森林業”に転換する必要性を提言しました。そうすることが日本国民に安全と富と幸せをもたらし、豊かな自然環境への適切な返礼となるんです。

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「森と人とのサスティナブルな関係を築くにはどうしたらいいか」について講演する池田さん 写真提供:(株)アクセスインターナショナル

植物は物ではなく、尊厳を持って対すべき生きもの

──前掲書には、自然に敬意を払い、自然と共に生きてきた人たちが心で感じてきたことが、いま科学的に証明されつつあるということが書かれていましたね。

池田 近代科学はこれまで、樹木を含む植物を、土から水を吸い、空気中から二酸化炭素を取り込み、太陽光を浴びて糖分を作り、生長するだけの、意思のない“単純なマシン”だと捉えてきました。また、植物には、人間や動物にあるような神経細胞も感覚器もないので、感情やコミュニケーション能力、学習能力などあるはずがなく、植物が何かを感じたり、話したり、学んで問題に対処したりするというのは、神話やメルヘンの世界の話でしかないとされてきたんです。

 しかし、カナダの生物学者、スザンヌ・シマード博士などの研究によって、森の木々はお互いにコミュニケーションをとっているということが発見されました。例えばキクイムシに襲われたりすると、周りの木々に、空気を媒介にして揮発性オイル「フィトンチッド」の信号を送って自己防衛するように促していること、夏の日照りで水不足になった時は、森の木々がコミュニケーションをとり、みんなで連動して光合成による生産量を減らして節水することなど、革新的な研究結果が次々に発表されています。

──驚くべきことですね。

池田 これまで光や水といった外的刺激に単純に反応する“物”だと思われていた植物が、実は繊細な知覚能力、多様なコミュニケーション能力、記憶・学習能力、問題解決の能力を持った、“尊厳を持って対すべき生きもの”であることが分かってきたということです。ですから、自然に敬意を払い、自然と共に生きてきた昔の人たちのように、人間は自然の一部であり、自然に生かされているということを深く自覚して森と向き合うことが、森と人とのサスティナブルな関係を築く大きな鍵になると思います。

──今日は貴重なお話を伺い、ありがとうございました。
(2022年4月27日、インターネットを通して取材)

聞き手/遠藤勝彦(本誌) 写真提供/池田憲昭さん